野田秀樹氏「安らかなんかに眠ってくれるな。化けて出てきてくれ」

[ 2012年12月27日 15:21 ]

 急性呼吸窮迫症候群のため5日に57歳で亡くなった歌舞伎俳優・中村勘三郎さんの葬儀・告別式が27日、東京都中央区の築地本願寺で営まれ、同い年で30年来の付き合いがあり、最期をみとった劇作家の野田秀樹氏(57)が弔辞を読んだ。

 野田氏は「残された僕たちはこれから長い時間をかけて君の死を、中村勘三郎の死を超えていかなくてはいけない。いつだってそうだ。生き残った者は死者を超えていく。そのことで生き続ける。分かってはいる。けれども、今の僕にそれができるだろうか。君の死は僕を子どもに戻してしまう」と涙をこらえた。

 野田氏は2001年、勘三郎さんと組んで東京・歌舞伎座で上演された「野田版 研辰の討たれ」で初めて歌舞伎の脚本に挑んだ。

 初日の本番直前の楽屋。2人は急に不安になり、ともに半分、涙目になった。勘三郎さんは「戦場に行く気持ちだよ」とステージへ。公演は見事、成功。2人は抱き合い、勘三郎さんは「戦友って、こんな気分だろうな」と言った。

 「そうだった。僕らは戦友だった。いつも何かに向かって戦って、だからこそ心が折れそうな時、大丈夫だと励まし合ってきた。どれだけ君が演じる姿が僕の心の支えになっただろう。それは僕だけではない。すべての君の周りにいる人々がどれだけ君のみなぎるパワーに、君の屈託のない明るさに助けられただろう」

 そして、役者・勘三郎さんを評した。「君の中には古き良きものと、挑むべき新しいものとが同居していた。君は型破りをする以前の古典の型をいうものを心得ていたし、歌舞伎を心底愛し、行く末を案じていた。人は簡単に君を天才と呼ぶけれど、いつも楽屋で本から雑誌、資料を読み込んで、ありとあらゆる劇場に足を運び、吸収できるものはどこからでも吸収し、そうやってつくり上げてきた天才だった。だから君の中には芝居の真髄がぎっしりと詰まっていた。それが君の死とともにすべて跡形もなく消え去る。それが悔しい。君のようなものは残るだろうが、それは君ではない。誰も君のようには二度とやれない」と無念さを表した。

 さらに「君はせっかちだった」とエレベーターが降りてくるのを待てず、ドアをこじ開けようとした姿を目撃したエピソードを披露。「勘三郎、そんなことをしてもエレベーターは開かないんだよ。待ち切れずエレベーターをこじ開けるように、君はこの世を去ってゆく。安らかになんか眠ってほしくない。まだ、この世をウロウロしていてくれ。化けて出てきてくれ。そして、オレを驚かせてくれ。君の死はそんな理不尽な願いを抱かせる」と声を震わせた。

 「野田版 研辰の討たれ」の最後の場面。勘三郎さん演じる主人公は「生きてえなぁ、生きてえなぁ」と言って死んでいった。「けれども、それは虚構の死だ。作家はいつも虚構の死をもてあそぶ。だから死を真正面から見つめなくてはいけない。だが、今はまだ君の死を君の不在を真正面から見ることなどできない。子どもに戻ってしまった作家など作家として失格だ。でも、それでいい。僕は君とともに暮らした作家である前に、親友だ、盟友だ、戦友だ。戦友にあきらめなどつくはずがない。どうかどうか安らかなんかに眠ってくれるな。この世のどこかをまだウロウロしていてくれ」と約7分間にも及び“戦友”への言葉を紡ぎ、結んだ。

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2012年12月27日のニュース