ONが杉下茂氏を追悼 長嶋茂雄氏「恐怖を覚えたことを思い出す」、王貞治氏「対戦できなかったのが残念」

[ 2023年6月16日 20:25 ]

1975年の巨人コーチングスタッフ。(左から)土井正三、町田行彦、黒江透修、長嶋茂雄監督、杉下茂、国松彰、王貞治兼任コーチ(敬称略)
Photo By スポニチ

 「フォークボールの神様」として知られ、中日の初優勝と日本一に貢献した杉下茂(すぎした・しげる)さんが12日午後10時18分、都内の病院で間質性肺炎のため死去したことが16日、分かった。中日球団が16日に発表した。97歳。通夜、葬儀は家族で営まれた。

 ソフトバンクの王貞治会長(83)は悲報を受け「フォークボールの神様と呼ばれるほど杉下さんなしでは日本の野球界を語ることはできない方でした。川上哲治さんや対戦した人たちの談話では、狙っていても打てないという話でしたしそれだけ頭脳的なピッチャーだったと聞いていました。杉下さんと対戦できなかったことは本当に残念です。心よりご冥福をお祈りいたします」と別れを偲んだ。

 巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(87)は、悲報を受け「現役時代、杉下さんとの対戦ではこれは打てないなと諦めさせるようなフォークボールが印象的でした。ストレートも速く、そしていつフォークボールが来るんだと打席で恐怖を覚えたことを思い出します。杉下さんのフォークボールは、日本球界で多くの投手の礎となったことは間違いありません」と現役時代の思い出を回顧。

 そして「1976年には巨人投手コーチとして力添えをいただき、若い選手中心の投手陣を鍛え上げて、立て直してくれました。監督とコーチの立場ではありましたが、信頼し合って一緒に優勝の喜びを分かち合うことができたのも心に刻まれています。偉大な先輩の訃報を聞き、大変残念でなりません。心よりご冥福をお祈りいたします」と偉大な球界の先輩との別れを偲んだ。

 杉下さんは明大から1949年、中日に入団してエースとして活躍した。NPBで初めて本格的にフォークボールを操り、通算215勝123敗、防御率2・23。驚異的な切れ味と落差で日本球界に絶大な影響を与えた。52年と54年には自己最多32勝を挙げている。55年5月10日の国鉄(現ヤクルト=川崎球場)戦で金田正一と投げ合い、ノーヒットノーランを達成した。

 現役引退後は中日、阪神で監督を務めた。76年には巨人で長嶋監督率の下で投手コーチに就任し、前年最下位からの優勝を果たした。95年に一線を離れて以降も、中日の臨時コーチなどで球界の発展に尽力。85年には野球殿堂入りしている。

続きを表示

この記事のフォト

「始球式」特集記事

「落合博満」特集記事

2023年6月16日のニュース