北別府学さん 18年に白血病判明、周囲の支えで懸命の闘病「孫にも野球を教えなければ」

[ 2023年6月16日 16:10 ]

北別府学氏
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 抜群の制球力で広島の黄金時代を支え、通算213勝を挙げた野球評論家の北別府学(きたべっぷ・まなぶ)さんが16日、65歳の若さでこの世を去った。沢村賞を2度獲得し、2012年には競技者表彰で野球殿堂入り。20年に自身のブログで成人T細胞白血病(ATL)を患っていることを公表して以降、懸命の闘病生活を送ってきたが、ついに力尽きた。

 長い闘病生活を支え、回復を願い続けた周囲の思いは届かなかった。北別府氏は20年1月20日、自身のブログでATL罹患を公表。翌21日に広島県内の病院に入院し、5月に骨髄移植を受けた。

 白血病が判明したのは18年の血液検査。その後、月1度の定期検診で経過観察を行っていたが、19年11月に数値の上昇が見られたため、公表に踏み切ったという。レギュラー出演する広島ホームテレビ(テレビ朝日系列)の情報番組内では「僕自身も治療するなら気持ちを一つにし、番組を休んで治療したいという思いもあった。元気なうちに治して、また帰ってきたい」と闘病への決意を口にしていた。

 自身のブログでも自身の病状を積極的に報告してきた。入院時には「白血病に見られるような体のだるさや発熱は全くない」としながらも、白血球や異常細胞の数値が「右肩上がりで上がってきた」と説明。治療期間は3カ月から半年ほどだという見通しも示し「化学治療が始まったら体調が悪くなり髪の毛も抜けると聞きました」としていた。その際にも「カープの日本一を見届けるために必ずや復活します。孫にも野球を教えなければなりません」とつづっていた。

 22年6月には感染症からくる敗血症のため、体力がかなり落ちて弱っていたことを明かすこともあったが、そのたびに不屈の闘志で乗り越えてきた。同年10月に新井新監督の就任が発表された際には、沢村賞の選考委員であることにも触れ「ゆっくり休んでいる場合ではないと鼓舞して、役目を与えてもらっているというのは生きる糧になるなとつくづく思います」と復帰にかける強い思いを明かしていた。

 今年5月24日には広美夫人がブログを更新し、退院が延期となったことを報告。成人T細胞白血病の治療で受けた骨髄移植による影響で発症するGVHD(移植片対宿主病)の治療が長引いていることを明かし「移植の生着後、GVHDとの闘いで様々な症状が次々と襲ってきて的確な治療をして頂き乗り越えてきましたが、今回は中々手強いようです」と記し、同31日のブログでも小康状態が続いているとしていた。

 抜群の制球力で2度の最多勝に輝くなど、一時代を築いた北別府氏。その勇姿はプロ野球ファンの脳裏に深く刻み込まれている。

 北別府 学(きたべっぷ・まなぶ)1957年(昭32)7月12日生まれ、鹿児島県出身。都城農から1975年ドラフト1位で広島に入団。79年に17勝を挙げて球団初の日本一に貢献。82年には自身初のシーズン20勝をマークし、沢村賞、最多勝を獲得した。広島一筋で19年間プレーし、94年限りで現役引退。通算515試合の登板で213勝141敗5セーブ。現役時代は1メートル81、85キロ。右投げ右打ち。

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