北別府氏が伝説となった…200勝達成した92年7・16中日戦「正直、ホッと」広島初の1億円プレーヤー

[ 2023年6月16日 16:14 ]

北別府学氏
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 元広島の投手で野球解説者の北別府学(きたべっぷ・まなぶ)氏が16日午後0時33分、広島市内の病院で死去した。65歳だった。

 広島時代にエースとして通算213勝をマーク。沢村賞を2度獲得し、2012年には競技者表彰で野球殿堂入りした。20年1月に自身のブログで成人T細胞白血病(ATL)を患っていることを公表。同年5月には次男をドナーとする骨髄移植を受けた。21年6月には転倒して側頭部を10数針縫い、尾てい骨を骨折。21年11月には大腿骨骨折が判明して人工大腿骨にする手術を受け、22年には3月の尿毒症に続いて6月には敗血症を発症するなど入退院を繰り返していた。

 92年7月16日。この日、北別府は伝説となった。ナゴヤ球場で行われた中日戦に先発し、8回を6安打1失点にまとめた。失点は大豊に許したソロアーチのみ。2回の守備で三重殺が達成された際に「『今日の試合は決まった』と思った」と勝利を確信したという。

 最終9回を大野(現本紙評論家)が締めた。この瞬間、北別府はプロ通算200勝に到達した。「念願の200勝を達成できた。正直、ホッとしている」。90年代では唯一の金字塔であり、のちに20世紀最後の200勝投手となった。また、当時のセ・リーグ6球団で唯一、200勝投手が出ていなかった広島にとって初めての偉業達成者でもあった。

 宮崎・都城農では1年からエースとして活躍。地元・九州では知られた存在となっていたが、甲子園出場歴もなく、全国的にはまだまだ無名の投手だった。ところが75年のドラフトで広島から1位指名され「3年経っても芽が出なければ郷里へ帰ろう」と心に誓い、プロの門戸を叩いた。

 17年目。通算480試合目でたどり着いた悲願だった。92年の北別府は14勝8敗、防御率2・58の好成績を残し、広島初の1億円プレーヤーになった。ちなみに、北別府の次に200勝投手となったのは04年の工藤(現ソフトバンク監督)。現役投手ではヤクルト・石川があと15勝で最も近い位置にいる。

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