阪神ドラ4・茨木 元プロ野球選手の監督との出会いが飛躍のきっかけ「指導を受けたくて…」

[ 2022年12月4日 05:15 ]

小学時代は手稲ヤングスターズ(父・幸雄さん提供)
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 サッカーの名門・帝京長岡(新潟)から、初のプロ野球選手としてその名を刻む秀俊。プロの世界を知る恩師との出会いをきっかけに、扉をこじ開けた。

 出生時の体重は4526グラム。生まれた時からビッグだった。「人並み以上に優れているような子になってもらえたら」(父・幸雄さん)との願いから秀俊と名付けられた。幸雄さんが会社の軟式野球部で高松宮賜杯などに出場していたこともあり、物心ついた時から野球が身近にあった。地元・北海道の札幌ドームにも幾度となく足を運び、ダルビッシュ(現パドレス)や大谷(現エンゼルス)の投球に憧れを抱いた。

 友人の誘いもあって手稲中央小2年時に手稲ヤングスターズで本格的に野球を始め、手稲中では札幌東シニアに所属して全国大会にも出場。頭角を現し始めた秀俊に目を付けたのが、20年から帝京長岡の監督就任が決まっていた元日本ハム投手の芝草宇宙氏=写真=だった。実際に北海道まで足を運んで視察し、中学生ながらカーブ、スライダー、チェンジアップと変化球3種を操る秀俊の素質にほれ込んだ。

 「これは絶対、プロ野球選手になれると。僕がプロスカウトの時は選手をもらう立場だったんですけど、今度はスカウトに渡す立場になりたかった。そういう選手を育てるには最高の逸材だった。本人もプロ野球選手になりたいという子だったので、だったら、なおさら来なさいと」

 秀俊自身も体験練習への参加を経て「練習環境も自分に合っていて、監督の指導を受けたくて」と、プロ通算430試合登板を誇る指揮官の存在に心をひかれた。地元の高校からも誘いを受けていたが、新潟の地を踏むことを決断。幸雄さんにとって「北海道に残るだろうなと思っていたんですけど、そうしたら新潟に行くって言い出したんで、私の方がびっくりしちゃって」と予想外の決断だったが、「本人が決めたらどこに行ってもいいぞと話はしていた。自分で決めた一番行きたいところで練習とか雰囲気とかいろいろ体験した中で決めたので」と納得。「行くからには頑張れ」と愛息の背中を押した。

 芝草監督就任の年に帝京長岡に入学。初めて秀俊を見た時に「こうすれば、もっと良くなるなと思ったことがあった」という指揮官のもと、早速プロ入りへ向けた指導が始まった。(阪井 日向)

 ◇茨木 秀俊(いばらぎ・ひでとし)2004年(平16)6月8日生まれ、北海道札幌市出身の18歳。手稲中央小2年時に「手稲ヤングスターズ」で野球を始め、手稲中では「札幌東シニア」に所属して全国大会出場。帝京長岡では1年夏からベンチ入り。3年夏は新潟大会決勝・日本文理戦でロッテ3位の田中晴也と投げ合うも延長11回サヨナラ負け。1メートル82、85キロ。右投げ右打ち。

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