【あの甲子園球児は今(8)健大高崎・山下航汰】選抜2人目の満塁弾2発 夏の出場逃すも「今でも自信に」

[ 2022年8月12日 08:00 ]

17年、第89回選抜大会2回戦の福井工大福井戦で2試合連続満塁本塁打を放つ健大高崎・山下
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 あの日を、今でも鮮明に覚えている。2017年3月22日。高崎健康福祉大高崎(群馬)は選抜大会に出場し、札幌第一(北海道)との初戦を迎えた。2年生ながら4番に入った山下航汰は、7回2死満塁の第5打席に立った。力強く振り抜くと、打球は右翼席で弾んだ。満塁弾。自分でも信じられなかった。

 「なんていうか、うれしすぎて、喜ぶのも忘れて無心でベースを回ったんです。びっくりしすぎて、全然浸れなかった。もし、もう1回打てたらちゃんとスタンドとか見てゆっくり1周しようと思ってたんです」

 その「もし」が現実となったのは、その6日後だった。再試合となった福井工大福井との2回戦。今度は4回だった。2死満塁で迎えた第3打席で、また引っ張った。大会史上2人目の2試合連続満塁本塁打が、右翼席に消えた。「狙ってたわけじゃなかったんです」と振り返るが、今度はしっかりとアルプスの歓声と喜びをかみしめた。

 甲子園に初めて足を踏み入れたのは、この選抜の初戦を前にした甲子園練習。その日に練習するチームの中で一番最初の午前8時からだった。「グラウンドがきれいで。うわーってなって、これが甲子園か、となったのを今でも覚えている」と感動したことを熱っぽく語る。

 強烈な印象を残した春。でも、これが高校では最初で最後の甲子園になった。夏は3年連続で、最大のライバル・前橋育英に聖地への道を阻まれた。選抜に出場した年の2年夏は群馬大会の新記録となる大会5本塁打を放つ活躍を見せ、3年時の18年は直前の春季関東大会で優勝するも、いずれも夏の決勝で前橋育英に敗れた。

 「3年の時はうそやろって感じだった。“え、負けたん?”みたいな。悔しいというか信じられなかった」。高校通算75本塁打を放った山下を擁し、「機動破壊」のスローガンを掲げ、攻撃的な走塁を武器に戦ったチームでも、夏の甲子園にはたどり着かず「夏は1回だけでも出たかったな」と本音をこぼす。

 あれから4年――。18年育成ドラフト1位で巨人に入団し、支配下登録を勝ち取った。レギュラー候補として期待され、1軍で安打も放った。右手有鉤(ゆうこう)骨骨折という大きなケガにも見舞われた。昨年に巨人を退団し、12球団合同トライアウトにも参加した。そして、今季からは社会人野球の三菱重工Eastでプレーする。「(社会人は)レベルが高くて、びっくりした。本当にプロに行くような投手ばかり」と苦笑いするが、大好きな野球ができる日々は充実している。

 21歳の若者は、たくさんの苦しい経験をした。今後の野球人生も平たんな道ではないかもしれない。それでも、山下は言う。「“あの舞台で野球ができた”と思えることが、今でも自信になっている」。いつの時代も、聖地・甲子園はプレーした球児たちに不思議な力をくれる。(田中 健人)

 ◇山下 航汰(やました・こうた)2000年(平12)11月15日生まれ、大阪府出身の21歳。高崎健康福祉大高崎では1年夏の群馬大会から4番。2年時の選抜で大会史上5人目となる2試合連続満塁本塁打を記録した。高校通算75本塁打。18年育成ドラフト1位で巨人に入団し、19年7月に支配下登録される。昨年に巨人を退団し、今季からは三菱重工Eastでプレー。1メートル74、83キロ。右投げ左打ち。

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