【高校野球 名将の言葉(8)帝京・前田三夫名誉監督】威厳示し続け50年「選手は監督の背中を見ている」

[ 2022年8月12日 09:00 ]

11年、夏の甲子園のベンチで戦況を見つめる帝京・前田名誉監督
Photo By スポニチ

 いつも背筋をピンッと伸ばしてグラウンドに立つ。その姿は還暦を過ぎても、少しも変わらなかった。帝京を名門に育て上げ、監督50年目の昨夏限りで退任した前田名誉監督がよく話していた。

 「選手は監督の背中を見てるんだよ」。だから、気が緩んだ姿は決して見せない。70歳を超えても、選手たちと同じようにウエートトレーニングを続けていた。グラウンドにスクッと立ち、鋭い目で練習を見つめる。その立ち姿には、変わらぬオーラがあった。

 そのオーラを前田名誉監督自身が強く感じたのが、3年ぶり3回目の出場だった83年選抜だ。1回戦の相手は名将・蔦文也監督率いる池田(徳島)。試合前の取材で対面したときだった。「えらいとこと当たってしもうたなあ」と笑う蔦監督の発するオーラに圧倒されたという。「あっ、これは勝てないって思いましたよ。監督で負ける、と」。その予感通り、試合は0―11の大敗だった。「あのときは監督で負けましたよ、本当に」。これを機に食トレなどを導入して選手たちの体作りを強化。同時に自身の意識も変わった。

 当時、教員免許を持ちながら教壇に立つ気はなかった。でも、蔦監督は社会科の現役教諭。「選手を指導する前に自分自身を鍛えないといけないと思ってね。蔦さんも授業を持ってたから」。そこから教壇に立ち、社会科の教諭として地理を教えた。1時間の授業の準備に4時間かかったという。一方で、体も鍛えた。選手と一緒に水泳トレーニングからウエートトレーニングまで。頼もしく、力強い背中を見せ、選手たちを育ててきた。

 ノックでは、外野スタンドに直接打ち込んだこともある。このときは高野連関係者から注意を受けたが、今ではそれも笑い話だ。ある夏のこと。約束の時間よりも早く取材に行くと、グラウンド裏の通りに面した小さなスペースにチューリップの球根を植えていた。「まずいとこを見られちゃったなあ」と照れていたが、近隣住民への心遣いだった。「遅くまで打撃練習の音が響くからね。ここを通る人が咲いてる花を見て少しでも和んでくれたら」。その姿も選手たちは見ていた。

 甲子園では、ベンチの端に立って戦況を見守る。背筋をピンッと伸ばし、時には大声を出して激しいアクションで選手たちを鼓舞した。甲子園通算51勝は歴代4位。そんな名将の背中が帝京ナインのプレーに“帝京魂”を宿した。トレーニングはユニホームを脱いでも欠かさない。前田名誉監督の立ち姿には今もオーラがある。(秋村 誠人)

 ◇前田 三夫(まえだ・みつお) 1949年(昭24)6月6日生まれ、千葉県袖ケ浦市出身の73歳。木更津中央(現木更津総合)では三塁手で、帝京大時代に練習をサポートしていたことから卒業後、72年に帝京の監督に就任した。78年春に甲子園初出場し、89年夏に吉岡雄二投手を擁して全国制覇。92年春、95年夏にも日本一に導いた。歴代5位タイの甲子園監督通算51勝。昨夏限りで監督を退き、名誉監督に就いた。 

続きを表示

この記事のフォト

2022年8月12日のニュース