松井氏 ミスターにトーリ氏に英語で15分間感謝のスピーチ 今年度の「ジャパン・ソサエティー賞」受賞

[ 2022年6月24日 02:32 ]

壇上で、英語でスピーチを行う松井氏(C)Daphne Youree
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 1872年に米国人のホーレス・ウィルソンが日本に野球を伝えてから今年で150年。野球で日米の架け橋になった一人が、元巨人、ヤンキースの松井秀喜氏(48)だ。21日にはニューヨークに拠点を置く日米交流を目的としたNPO団体「ジャパン・ソサエティー」の夕食会に出席し、今年度の「ジャパン・ソサエティー賞」を受賞。約700人の前で15分間の英語スピーチを行い、野球へ、恩師へ、そしてニューヨークへの感謝を込めた。

 マンハッタンの高級イベント会場「シプリアニ」で催され、ニューヨークのエリック・アダムス市長も出席した夕食会の大トリで松井氏が壇上に立った。「米国から日本への野球伝来150周年という特別な年に、この賞を授けていただけたことに感謝します」。03年のヤンキース入団から米在住20年目のゴジラが、笑顔で英語のスピーチを始めた。

 「長嶋茂雄さんとジョーという2人との出会いがなければ私のキャリアはまったく違ったものになり、今ここに立ってはいなかったでしょう」。巨人時代の監督である長嶋茂雄氏と、元ヤ軍監督で今回のプレゼンターを務めたジョー・トーリ氏に謝辞を述べ、「いつか長嶋さん、ジョーと東京で会うのが夢」と熱い思いを口にした。

 99年秋、ニューヨークでヤンキースのプレーオフを観戦したのは有名だが、実はメッツ戦も観戦。02年オフのFA移籍の際、オファーを受けたのはヤ軍とメ軍だけだといい「ヤンキースタジアムでピンストライプを着てプレーすることを選んだ」と振り返った。

 独身時代に「ジャパン・ソサエティー」の関係者から米国人女性を紹介してもらえそうだったが「野球で忙しかったのか、自分に自信がなかったのか、覚えていませんが、丁重に断った」と告白。また、自身が生まれた年で長嶋氏が引退した年でもある74年の日米野球で、長嶋氏とトーリ氏が対戦したという運命の巡り合わせに「つながっているように感じた」としつつ、「ただ、これに気づいたのは、このスピーチを用意していた先週のことでした」などと、笑い話も随所に交えた。

 この賞は日米の相互理解向上に寄与した日本人・米国人の功績を称える目的で1984年に設立。各界の著名人が表彰されている。松井氏は「今夜の機会を日本、米国の野球の発展に生かしていきたい。ここにいる皆さんにもう一度、感謝したい」。誓いを新たに、スピーチを締めた。(杉浦大介通信員)

 《「感激した」森総領事の「ポジティブさ」》スピーチでは、メッツが5月13日のマリナーズ戦で日本の森美樹夫ニューヨーク総領事が予定した始球式を実施できなかったトラブルにも触れた。森氏がマウンド付近で待機中、メ軍先発のシャーザーが投球練習を続けたため出番がないままグラウンドを離れた一件に、松井氏は「悲しい気持ちになりビデオを探したところ、森大使は上品さ、辛抱強さ、謙虚さといった日本人らしさを背中で示していた」と感想。さらに「“メジャートップの投手の投球を見られてうれしかった”という森大使の言葉を聞き、ポジティブさに感激した」と話し、拍手を浴びていた。

 《アフリカにリモート教室》松井氏は野球の普及活動も積極的に行っている。一般社団法人アフリカ野球・ソフト振興機構(J―ABS)ではエグゼクティブ・ドリームパートナーに就任。5月22日にナイジェリアの首都アブジャで開催された野球教室にはリモートで参加した。事前に選手の打撃の映像を視聴して臨み、実演を交えて「軸足の内側を意識して体を残して、(ボールが)近くまできてから振り出す」などのアドバイスを送った。

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