国学院大主務・高山匠マネジャーの激動の1年「貴重な経験ができた」

[ 2021年11月25日 07:38 ]

ベンチから声を出す国学院大・高山主務
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 ユニホームは着られない。それでも、ベンチにいる仲間と同じ気持ちで戦ってきた。国学院大の主務を務めた高山匠マネジャー(4年)は制服姿で「自分が選手を続けていたらどこまでできたかなと思うことはあります。でも、主務になって結果的に4年生のシーズンで春秋連覇ができて、全国大会にも出られた。貴重な経験ができた」と振り返った。

 修徳時代には1年夏からベンチ入り。神宮球場でホームランを放ったことがある右のスラッガーだった。レベルの高い東都大学リーグで野球を続けたくて、国学院大に進学した。2年秋のリーグ戦、亜大1回戦で打席に立った。

 3年春。鳥山泰孝監督から、マネジャー転身の打診を受けた。「ちょうどコロナの自粛期間中で寮が閉鎖になっていて、実家で2、3カ月、じっくり考えました。そっちの方がチームに貢献できるのかなと思うようになった」。悩み抜いた末、ユニホームを脱ぐことを決断した。

 新チーム始動と同時に、主務になった。チーム運営のためのお金の管理、オープン戦の日程調整など、仕事に追われる日々が続いた。「正直、マネジャーがどんなことをしているのか分からなくて…」と、戸惑いながら仕事を覚えていった。

 息詰まったときは、寮近くにある大学のウエートルームに足を運ぶ。現役時代に90キロだったベンチプレスは、120キロを上げられるようになった。「主に上半身のトレーニング。体重は10キロくらい増えて、今は95キロくらいありますね」と分厚い胸板になった。

 「マネジャーの経験は、社会人になって役立つと先輩からも言われています」と高山。卒業後は証券会社で働く。ベンチでスコアブックをつけながら見た神宮の景色は忘れない。(川島 毅洋)

 ◇高山 匠(たかやま・たくみ)1999年(平11)11月20日生まれ、東京都足立区出身の22歳。小2から野球を始め、足立第14中では江戸川中央シニアに所属。修徳では1年夏からベンチ入りし3年時に主将。甲子園出場はなし。国学院大では2年秋にリーグ戦デビュー。1メートル80、95キロ。右投げ右打ち。

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