西武・星 祖父母の墓前で誓う プレーで「心の支援」を

[ 2016年3月10日 10:00 ]

2月のキャンプで岩手出身の菊池(右)と言葉をかわす星

震災から5年 野球人として(3)

 2016年元日の早朝、西武の星は、地元の宮城県名取市の北釜海岸にいた。「震災後に地元で初日の出を見たのは初めて。昔はよく家族で行ったんです。特に深い理由はなかったのですが、家族で久々に行ってみようという話になって」。父と妻、7歳の長女とともに日の光に照らされた海面を静かに見つめながら、5年前の東日本大震災を思い出した。

 津波は生まれ育った実家をのみ込み、祖父・善太郎さんと祖母・みつさんの遺体が自宅から約1キロ離れた場所で見つかった。「海の景色は昔と変わらない。でも、後ろを振り返ると何もない。海岸に向かうまでの風景も全てが変わってしまった」。14年11月、北釜地区にあった元の場所から約4・5キロ離れた美田園地区に新たな実家が完成。シーズン中に遠征で仙台を訪れた際は、名取市内にある祖父母の眠る墓前で手を合わせる。そして、いかにして被災地を支えていくかを考える。

 時間の経過とともに、復興支援の在り方も変わりつつある。「日常の生活を取り戻しつつある人もいるけど、今になって心が病んでしまう人もいる。落ち着いたからこそ、いろいろなことを思い出してしまうようです」。物質的なサポートから、これまで以上に「心の支援」の必要性が高まっていると実感している。

 「プロ野球選手としてできることは何か。やりたいこともあるけど、押しつけになってはいけない。本当に求められていることが何なのかを、ずっと考えています」

 オフの野球教室などは、もちろん継続していく。「僕は野球選手ですから、まずは野球で子供たちに夢を与えたい。どんな時でも下を向かずプレーする姿を見せたい。でも、いろんな夢があっていい。サッカーでも歌でも演劇でも。生きる目的や活力を持ってもらう、きっかけづくりの一助になりたい」。ジャンルの垣根を越えたネットワークで被災地を支えたい――。「震災は“過去”ではない。一生向き合っていきます」。地元の風景は変わってしまったが、星の被災地への思いが変わることはない。 (重光 晋太郎)

 ▼名取市 宮城県中央南部の太平洋沿岸に位置し、仙台市の南東に隣接する。人口は約7万5000人。震災時は震度6強。地震発生から1時間6分後、閖上(ゆりあげ)港に9・1メートルの津波が押し寄せ、市内の約28%が浸水した。半壊以上の建物は5000棟以上で、関連死を含めて964人(14年3月末時点)が犠牲になった。市の東南部にある仙台空港も津波で大きな被害を受け、12年9月に完全復旧した。

 ◆星 孝典(ほし・たかのり)1982年(昭57)5月4日、宮城県名取市生まれの33歳。小学1年から「下増田ブラックホークス」で野球を始める。仙台育英で99、00年夏に甲子園出場。東北学院大では2学年下の岸(西武)とバッテリーを組んだ。04年ドラフト6巡目で巨人入り。11年5月に金銭トレードで西武移籍。1メートル75、82キロ。右投げ右打ち。

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