【ジャンプ】二階堂蓮 父子二代で日本代表 小2の体験会が転機、3度競技をやめかけたことも…

[ 2026年1月15日 05:30 ]

9歳の頃、スキー板を持ち笑みを浮かべる二階堂蓮(父の学さん提供)
Photo By 提供写真

 2月のミラノ・コルティナ五輪でメダル獲得が期待される選手を、親はどう支えてきたのか。今回は五輪イヤーの活躍もあり、一気に注目度が増しているノルディックスキー・ジャンプ男子の二階堂蓮(24=日本ビール)と、スノーボード・ハーフパイプ(HP)女子の小野光希(21=バートン)をクローズアップ。それぞれの親子の歩みと思いに迫った。(取材・構成 波多野詩菜)

 蓮がジャンプを始めた日の会話を、父の学さん(59)は鮮明に覚えている。体験会に連れていった小2の冬だった。小1から通った器械体操教室では、あまりの習得の早さゆえに周囲との距離ができていた息子は、みんなが一緒に遊んでくれる世界に溶け込み「僕、やる!(体操より)ジャンプを取る」と口にした。学さんは言った。「絶対に海外に行くようになるまでに父さん教えるからな。その代わり甘くないからな。それでもいいか?」。蓮は「やる!」と即答した。

 自身も日本代表のジャンパーだった学さんは、小5のときに初めて地元の北海道旭川市で本物のジャンプ台を飛んだ。当時は指導者はおらず、経験者が教え合う環境だった。低学年から本格的に始めればなおさら世界に「行ける」と確信があった。中3まで毎日、自宅でのスクワットジャンプ、バーピージャンプ、腹筋などの体づくりを課した。多忙な仕事の傍らで唯一、山に行ける日曜日は送迎の車中も無駄にせず、世界の一流選手の映像を流して2人でイメージを高めた。

 蓮は過去3度、競技をやめかけたことがある。1度目は下川商入学前。不合格ならやめる選択肢があった。2度目は高3時にW杯出場など世代の先頭を走りながら、実業団から声がかからなかったとき。3度目はコロナ禍で学業との両立が難しく、東海大を退学した後。田植えなどで活動費を稼ぐ生活が約1年続き、引退寸前まで追い込まれた。

 「絶対世界に出られるものを持っている」と引き留めるべく動いたのは学さんだった。大学時代の先輩との縁もあり、現所属の日本ビールの内田茂社長につながり、2人で東京の本社に赴いて契約が実現した。

 蓮は、母・美穂子さん(53)の父、雄一さん(87)が名付け親。蓮(ハス)は泥の中から清廉な花を咲かせる。学さんは言う。「いろいろある中で奇麗に咲かせてくれている。なんて名前の通りだな、と」。

 蓮は今季、伝統のジャンプ週間第3戦を兼ねたW杯個人第14戦(オーストリア・インスブルック)で初優勝するなど、4度のトップ3入り。初五輪に向け、個人でも初採用となる2人一組のスーパー団体でもメダルへの期待が高まる。夢舞台は91年に学さんが出場した世界選手権の会場だった、バルディフィエメ。「運命」めいたものを感じる。「最低でも表彰台に上がってほしい。自分のジャンプを確立しつつある中で、二階堂蓮はまだまだ上がっていくと思っている」。誰よりも説得力のある声で、学さんは太鼓判を押した。

 ≪二階堂17日開幕W杯凱旋Vへ≫二階堂は4日に開催されたノルディックスキー・ジャンプW杯男子個人14戦(オーストリア)で念願の初優勝を飾った。次戦は17日からのW杯札幌大会(大倉山ジャンプ競技場)で「札幌でも優勝を」と意気込む。13日には一般女性との結婚を発表したばかり。公私ともに充実した状態で、自身初の五輪となるミラノ・コルティナ大会を迎えられそうだ。小野は9日のスノーボードW杯ハーフパイプ第4戦で今季初となる通算7勝目をマークし、2度目の五輪出場を確実にしている。

 ◇二階堂 蓮(にかいどう・れん)2001年(平13)5月24日生まれ、北海道江別市出身の24歳。江別大麻泉小2年からジャンプを始め、下川商3年時に全国高校総体優勝。20年W杯初出場。22年に夏のグランプリで初優勝し、23年世界選手権初出場。家族は両親、姉、兄。趣味はアニメ観賞。1メートル66。

続きを表示

この記事のフォト

「羽生結弦」特集記事

「テニス」特集記事

スポーツの2026年1月15日のニュース