二宮清純氏 「昭和」は「100年」で本当に終わってしまった

[ 2025年12月25日 05:30 ]

インタビュー中に笑顔を見せる尾崎将司さん(2020年撮影)
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 【悼む】8月に本紙から依頼された不世出のストライカー釜本邦茂さんへの追悼文を、こう結んだ。「長嶋茂雄さんに続いて、また一つスポーツ界の巨星が堕おちた」。まさか年の瀬に「もう一つ」巨星が堕ちようとは…。“ジャンボ尾崎”の愛称で親しまれたゴルフ界のレジェンド尾崎将司さんが、78年の生涯を閉じた。「ジャンボに呼ばれて、千葉の自宅に行ったのが10日。2日間、一緒におったけど、最後は声が出んかった。“向こうに行っても(ゴルフバッグを)担ぎますよ”と言うと、ニヤッと笑って右手を差し出した。それが別れやった」

 そう語ったのは専属キャディーとして、長きにわたってジャンボさんを支えた佐野木計至さん。1964年の選抜を制した徳島・海南のエースがジャンボさん、一塁手が1年後輩の佐野木さんだった。「ジャンボとは保育園から一緒なんよ。あれは西鉄に入団して3年目のオフかな。宍喰町(現徳島県海陽町)の中学校のグラウンドに呼び出された。そこでひものついたボールを打っていた。僕は、そこで初めてクラブというものを見た。“おい、これからはゴルフの時代が来るぞ”って…」

 パーシモンで250ヤードも飛ばせばロングヒッターと呼ばれた時代、ジャンボさんは300ヤードも飛ばした。身長1メートル81、体重90キロの堂々たる体躯たいく。外国人並みの飛距離。ギャラリーを熱狂させた数々の奇跡的な逆転劇。そのスケール感は、まさに70年に就航したジャンボジェットそのものだった。

 再び佐野木さん。「一度本人に言うたことがあるよ。“ゴルフ界にとってジャンボさんの功績は大きいよ”と。そしたら“なぁに、ただ自分が強くなりたかっただけのことよ”と。照れ屋だから素直に喜ぼうとはせんかったね」

 青木功、中島常幸というかけがえのないライバルを得たことも、ジャンボさんには僥倖ぎょうこうだった。たとえば85年から94年にかけての10年間、日本オープンの優勝者は、93年を除き、全て3人が独占している。このAONが紡ぎ出す上質の物語は、それまでのゴルフのイメージを一新した。富裕層の娯楽ではなく、職人芸の披露会でもない、選び抜かれたプロフェッショナルが覇を争う崇高にして華やぎに満ちた空間へ――。その中心にいたのがジャンボさんだった。

 日本プロスポーツ大賞(96年)にも輝くなど、ゴルフ界を超えたスターとなったジャンボさんにも「永遠のヒーロー」がいた。この6月に世を去った長嶋さんである。

 佐野木さんは言う。「ジャンボほど長嶋さんに思い入れの強い人はいなかった。ボールは長嶋さんの背番号にちなんで3。監督になって背番号を33に変えたら、自分の車のナンバーも33に。何度か食事に誘われ、僕もついていった。いつもはぎりぎりになるジャンボが10分前には到着し、部屋で正座して待っている。その姿は、まるで長嶋さんに憧れる野球少年そのものやったね」

 長嶋茂雄、釜本邦茂、そして尾崎将司。「昭和」は「100年」で本当に終わってしまった。合掌。(スポーツライター)

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