男子100キロ超級・斉藤立、父子金あと一歩… 父・仁氏に届かず「経験不足、研究不足、実力不足」

[ 2022年10月13日 04:20 ]

柔道世界選手権第7日 ( 2022年10月12日    ウズベキスタン・タシケント )

キューバ選手(右)と対戦する斉藤
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 男子100キロ超級で初出場の斉藤立(たつる、20=国士舘大)が決勝でアンディ・グランダ(キューバ)に指導3の反則負けで敗れ、準優勝に終わった。斉藤は83年大会の無差別級を制した五輪2連覇王者の故仁氏の次男。日本勢史上初の父子2代制覇を逃したが、大きな可能性を示し、24年パリ五輪へ前進した。女子78キロ超級で昨年準優勝の冨田若春(わかば、25=コマツ)は銅メダルだった。

 準決勝までオール一本勝ちの勢いがうそのように、斉藤は決勝で何もできなかった。相手のグランダは昨年6月の世界選手権、7月の東京五輪と初戦敗退の30歳。しかし生命線といえる左の釣り手を殺され、2つ持ったと思えばすぐに担がれるの繰り返し。延長2分24秒、3つ目の指導で敗戦。「本当に物凄く後味が悪く、悔しい。最初の袖釣り込み腰でびびってしまい、間合いを詰められなかったことが最後まで響いた」と肩を落とした。

 初戦の2回戦から第2シードのスパイカース(オランダ)と当たる厳しい組み合わせだったが、延長戦の末に大外刈りで一本勝ち。3回戦は内股、準々決勝は足車で一本勝ちするなど、2つ持った時の破壊力は世界で通用した。だが指導だけで決着するのも柔道。「経験不足、研究不足、実力不足」と3つの課題をまくし立てた。

 柔道を始めてから、優しかった父は畳の上では鬼と化した。実家に設けた道場で毎日3時間の稽古を課され、試合で勝っても表彰式後には会場の隅で反復練習が待っていた。それでも斉藤は「憧れを抱いた」という。その思いを強くしたのは、15年の死去後に初めて見たという88年の全日本選手権のビデオ。「本当に執念が表れているような試合」と鬼の形相で悲願の初優勝を果たした父を理想とし、背中を追ってきた。

 観客席で見守った母・三恵子さんが持つ遺影の仁氏は笑っていた。最高の結果報告はできなかったが、パリ五輪を目指す斉藤に立ち止まっている時間はない。亡くなる前日、病床から声を絞り出した天国の父は再びこう言うだろう。「稽古、行け」と。

 ◇斉藤 立(さいとう・たつる)2002年(平14)3月8日生まれ、大阪府出身の20歳。父の手ほどきで小1から柔道を開始。大阪・上宮中―東京・国士舘高―国士舘大。19年の全日本選手権で史上最年少の17歳で初出場。今年の大会で史上初の父子制覇を達成した。国際大会では21年グランドスラム・バクー大会でIJFツアー初優勝。組手は左組み、得意技は体落とし。1メートル91、170キロ。家族は母・三恵子さん、兄・一郎さん。

 ▼斉藤仁の世界選手権優勝 83年10月のモスクワ大会無差別級に初出場。初戦の2回戦で欧州王者から一本勝ちするなど圧倒的な強さで勝ち上がり、決勝でもコツマン(チェコ)からわずか53秒で膝固めで一本勝ち。「表彰台は富士山より高かった」と喜びのコメントを発した。斉藤の優勝で、日本は世界選手権9大会連続で無差別級の王座を守った。

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