新競技バドミントン、里見紗李奈が涙の初代女王 世界ランク1位公言通り「泥くさくがむしゃらに」

[ 2021年9月5日 05:30 ]

東京パラリンピック第12日 バドミントン・女子シングルス(車いすWH1)決勝   里見紗李奈 2―1 スジラット ( 2021年9月4日    国立代々木競技場 )

金メダルを獲得しガッツポーズの里見 (撮影・光山 貴大)
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 新しく採用されたバドミントンの女子シングルス決勝で車いすWH1の里見紗李奈(23=NTT都市開発)がタイ選手に2―1で逆転勝ちして初代女王の座に就いた。WH2で銅メダルを獲得した山崎悠麻(33=同)とペアを組む、ダブルス(車いす)でも5日の決勝に進み、2冠に挑む。上肢障がいSU5の鈴木亜弥子(34=七十七銀行)は決勝で敗れて銀メダルだった。

 相手のショットがネットにかかると、里見はガッツポーズを繰り返した。世界ランキング1位で公言通りの金メダル。両腕で涙を拭った瞬間を「かかわってくれた人に“勝ったよ”と報告できるんだと思ったら、うれしくて…」と振り返った。

 2連敗中で通算2勝4敗の難敵。第1ゲームは「研究されたと感じて弱気になった」と落とした。第2ゲームも15―9から9連続失点したが「勝ちたい気持ちが強い方が勝つ」というコーチの言葉に発奮。自分自身に声を掛け「がむしゃらに泥くさく」プレーして逆転勝利を手繰り寄せた。

 高校3年だった16年5月、自動車事故で脊髄を損傷。歩けなくなった。17年2月の退院後は外出も控えがち。里見は「車いすの自分を受け入れることができていなかった。あんまり人と会いたくなくて」と振り返る。しかし、バドミントンとの“再会”に救われた。

 中学で部活動経験があり、入院中にリハビリの一環でプレーしていた姿を見ていた父・敦さん(53)が障がい者クラブを探して練習会に参加。「行きたくない」と渋っても連れて行かれた。出会ったのが日本代表の村山浩だ。

 ラリーの相手をしてもらうと「頑張ればパラに出られる。一緒に行こう」と言われた。村山は「1球見て絶対に強くなると思った。(健常の)経験者は座ると目線が全然違うけど、一発で合わせるセンスがあった。強く奥に打つこともできた」と振り返る。「自分の意思で練習に行きたいと思うようになった」と里見。1カ月後に車の免許を取ると、同時期に競技を始めた車いす仲間と自ら運転して連日の自主練にも励んだ。

 競技開始から2年余りで19年の世界選手権を制してパラでも勝った。カメラの列に「全然イヤじゃない、むしろ“見てくれ”って感じ。“車いすになって良かったな”と思える人生を送りたい」と笑った。ダブルスとの2冠達成でさらに輝く。

 ◇里見 紗李奈(さとみ・さりな)1998年(平10)4月9日生まれ、千葉県出身の23歳。小学生時代は空手、中学時代はバドミントンをプレー。高校3年時の事故で車いす生活となり、高校卒業後にパラ・バドミントンを開始。19年世界選手権優勝。

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