51歳“水の女王”成田、万感の6位 27年間の競技人生に幕「凄く幸せでした」

[ 2021年8月31日 05:30 ]

東京パラリンピック第7日 女子50メートル背泳ぎ(運動機能障がいS5)決勝 ( 2021年8月30日    東京アクアティクスセンター )

<女子50メートル背泳ぎ 運動機能障がいS5>6位でレースを終えるも万感の表情の成田
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 女子50メートル背泳ぎ(運動機能障がいS5)は今大会を最後に第一線から退くことを表明しているパラ6大会出場の成田真由美(51=横浜サクラ)が今大会の出場最終種目で初めて決勝進出。ラストレースを47秒86の6位で締めくくり、27年間の競技人生に幕を下ろした。男子200メートル自由形(運動機能障がいS4)で鈴木孝幸(34=ゴールドウイン)が銀、200メートル個人メドレー(視覚障がいSM11)で富田宇宙(32=日体大大学院)が銅メダルを獲得した。

 現役生活の締めくくりと位置付けたレースは6位だった。パラリンピックで金メダルを量産してきた「水の女王」の最後としては、少し寂しい気もするが、成田に涙はなかった。「自分が考えていた以上の競泳人生。凄く幸せでした」と万感の思いを語った。

 51歳。96年アトランタ大会を皮切りに東京大会まで6度のパラリンピックに出場した。北京大会後に一時引退したが、13年9月に東京開催が決まった歓喜の瞬間に立ち会う。「あの時は、選手に戻る気持ちはなかった」と笑うが、14年に東京大会の組織委員会理事に就任するとともに現役復帰。16年リオ大会も出るなど、パラで金メダル15個を含む20個のメダルは伝説だ。

 下半身まひで中学から車いす生活になり、23歳で知人に誘われて水泳を始めた。実はかなづちだったが、プールに入ると重い下半身が水に浮いた。「凄く自由に思えた」。以来、水泳のとりこだ。昨春の緊急事態宣言下では約2カ月間泳ぐことができず、筋トレの頻度を増やしたり、車いすのかごにダンベルを入れ隣の駅まで往復するなど工夫を凝らして体を鍛えてきた。

 今大会は2度の9位で迎えた最後の予選は8位同着。決勝進出へのスイムオフを相手が辞退し、舞い込んだ決勝は27年間の思いをぶつけるように懸命に腕を回し、予選から2秒近くタイムを縮めた。21個目のメダルには届かなかったが「それが最後の最後で良い結果で終わり良かった」と女王の意地を見せた。

 泳ぎ終えた成田は今後についての質問に少し考え「まだ何も考えていない。とりあえず明日(31日)退村する」と言った後「その次の日は、また練習場に行ってしまうんだろうな」と笑った。やはり水の女王にはプールが一番似合っている。

 ◇成田 真由美(なりた・まゆみ)1970年(昭45)8月27日生まれ、神奈川県出身の51歳。横浜サクラ所属。13歳で脊髄炎を発症し両下肢まひとなる。パラは96年アトランタ大会で初出場し、今回で6度目。04年アテネでは7個の金メダルを獲得した。東京大会の招致活動にも携わった。1メートル74、52キロ。

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