内村航平が東京五輪代表に 無敵進撃から一転リオ以降の試練を乗り越えて

[ 2021年6月6日 16:49 ]

体操・全日本種目別選手権最終日 ( 2021年6月6日    群馬・高崎アリーナ )

<全日本種目別選手権 決勝>代表に内定し、観客の拍手に応える内村航平(撮影・光山 貴大)
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 各種目の決勝が行われ、鉄棒の内村航平(ジョイカル)が15・100点をマークし、東京五輪の代表に決まった。体操ニッポンの4大会連続五輪出場は、1964年東京大会で日本選手団主将を務めた小野喬以来、史上2人目となる。個人総合で世界大会8連覇を果たした16年リオデジャネイロ五輪以降、数々の試練を乗り越えて夢舞台にたどり着いた。

 【内村のリオ五輪後の歩み】

 ▼16年12月 日本体操界初となるプロ選手に。リンガーハットと所属契約を結ぶ。

 ▼17年4月 プロ転向後、初戦となった個人総合の全日本選手権で10連覇を達成。「勝ってしまったので地獄」。

 ▼17年10月個人総合で7連覇が懸かっていた世界選手権の予選で悪夢。跳馬で左足を負傷して、3種目終了時点で棄権した。「ホントに申し訳ないっす。一番大きな舞台でやってしまって『なんでだ』って思いが強い」。個人総合の連勝は40で止まった。

 ▼18年4月 個人総合の全日本選手権は3位で11連覇ならず。それでも、「凄い晴れやか。ようやく解放されたかな」。

 ▼18年5月 NHK杯で10連覇を達成。「素直にうれしい。全日本で負けたから、こういう感情が生まれた」。

 ▼18年11月9月に右足首を痛めた影響で、世界選手権の個人総合出場を断念。種目別の鉄棒では銀メダルを獲得したが、日本勢は07年大会以来となる金メダルなし。「東京五輪を見据えると、体操で金がないのは他の競技にも影響が出る」。

 ▼19年4月深刻な両肩痛を抱えたまま出場した全日本選手権で、まさかの予選落ち。「今後につならないっすね、これじゃあ。東京五輪は夢物語。今は何もやりたくない」。

 ▼20年2月 種目別鉄棒に絞って東京五輪を狙うことを決断。

 ▼20年3月 新型コロナウイルスの影響で東京五輪の1年延期が決定。

 ▼20年11月 コロナ感染拡大後、初めて海外選手も参加した国際大会に出場。大会直前にコロナ偽陽性の騒動に巻き込まれたが、好演技を披露した。

 ▼20年12月 全日本選手権の種目別で予選15・533点、決勝15・700点とハイスコアを並べて優勝。

 ▼21年1月リンガーハットが20年12月31日で内村との契約継続を断念したことを発表。同社は「コロナ禍における想定をはるかに上回る業績悪化」を理由に挙げた。

 ▼21年3月 自動車販売などを手がける「ジョイカル」と所属契約を結ぶ。「所属がなくなって最初はどうなるかと思ったけど、いい報告ができて良かった」。

 ▼21年4月 東京五輪代表選考がスタート。全日本選手権のトライアウトで15・166点、15・466点とトップのスコアをマーク。

 ▼21年5月 NHK杯で15・333点。選考の“第3関門”も突破。

 ▼21年6月 全日本種目別選手権の予選で世界最高得点となる15・766点、決勝でも15・100点をマーク。東京五輪の代表に決定した。

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