×

ジャンボ尾崎が「一緒に歩んできた感じがする同級生のよう」と語る日本屈指の名コース

[ 2021年3月23日 06:00 ]

開場50周年のフェニックスCC
Photo By 提供写真

 国内屈指の名コースで、男子ツアーのビッグトーナメント、ダンロップフェニックスの舞台でもあるフェニックスCC(宮崎)が3月24日に開場50周年を迎える。その地で数々の名場面を演じてきたゴルフ界のレジェンド、“ジャンボ”尾崎将司(74=I.S.T)が、同コースを「ともに歩んできた同級生のよう」と振り返った。

 1勝目と100勝目。栄光に包まれたジャンボのゴルフ人生の節目の舞台は、いつもフェニックスCCだった。

 「初優勝の場所だから、忘れようがないよね」

 1964年に徳島海南高でセンバツの優勝投手となり、翌年に鳴り物入りでプロ野球の西鉄(現西武)に入団。ところが、同期の池永正明の才能に圧倒され、実働わずか3年で退団し、プロゴルファーに転身した。自分にはゴルフしかないと、覚悟を決めて挑んだ未知の世界。その才能は驚くべきスピードで開花した。70年にプロテストに合格すると、それまでのトーナメントプロの常識を打ち破る驚異的な飛距離と歯切れのいいゴルフで、デビュー2年目の71年に同コースで開かれた国内メジャーの日本プロで初優勝を飾った。それがジャンボ伝説の始まりだった。

 世界のトップ選手を招待し、世界基準の大会を国内で開催しようと企画されたダンロップフェニックスは、その翌年に幕を開ける。ジャンボも第1回から出場。だが、なかなか結果を出せず、同大会を初めて制したのは実に22年後の94年、第47回大会だった。

 「コースもいいし、前のオーナーの佐藤棟良さんにもかわいがってもらって、期待されて。そういう親近感が非常にあったから、何とかそこで頑張ってやりたいと思っていた。当時、ダンロップフェニックスは、世界の名だたる選手が出場していたから、なかなか日本の選手が優勝できなかったんだけどね。そういう厳しい中で、頑張っていきたいというのが、一つの夢だったな」

 一度、勝利の方程式をつかんだジャンボは、フェニックスCCで無類の勝負強さを発揮するようになる。96年には、前人(ぜんじん)未踏のプロ通算100勝目を同大会史上初の3連覇で飾り、偉業に花を添えた。その時の49歳10カ月での優勝は、大会最年長記録。また19年まで続けた46回連続出場は、大会最多出場記録で、3連覇はいまだに破られていない。さらに同大会のトップ10入りも歴代2位の11回と、圧倒的な戦績を残した。

 「40数回出てて、3回の優勝だからたいしたことないよ。数打ちゃ当たるじゃないけどさ(笑)。人より余分に試合に出てて、人より余分な入れ込みがあって、それでもなかなか優勝できなかったわけだからね。それがやっと残念賞というか、47、48、49回大会と連続で優勝できたわけだ。優勝するまで相当時間がかかっている。中日クラウンズもそうだったね、最初に優勝したのが40歳くらいで」と稀代の勝負師らしく、今でも結果に100%満足することはない。それ以上に、もっとやれたはずだという思いが、いまだに心の隅にくすぶっているようだ。

 「トーナメントで言えば、シーズン終盤の大イベントだからね。試合を長い間やっていてのシーズン終盤だから、結構、体調的にコントロールができなかった思い出があるね。だからうまくいかないことも続いたんだけど。だからベストな体調で、ベストな条件で試合をやれなかったなと。少し悔しいという印象はあるね」

 それほどダンロップフェニックス、そして同コースはジャンボにとって特別なものだった。

 「一緒に自分のゴルフの歴史とともに歩んできた感じがするし、(フェニックスCCは)同級生のような気がするよ」。そう語る眼差しは、やさしかった。

続きを表示

この記事のフォト

「羽生結弦」特集記事

「テニス」特集記事

2021年3月23日のニュース