緊急事態宣言下でもたくさんの敗者が悔し涙を流せるように

[ 2021年1月7日 14:40 ]

昨年3月19日の甲子園球場
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 【君島圭介のスポーツと人間】どうか緊急事態宣言下でも多くの高校生が堂々と涙を流せる国でありますように。親や教師に大会がなくなった、と耳打ちされて部屋でひっそりと涙をこぼすことがない国でありますように。日本中の球場で、競技場で、体育館で、大人たちがうらやむような高校生の明るい声が響き渡る国でありますように。

 おそらく、これから再び大規模な全国大会を開催する是非が問われるだろう。昨年はインターハイを始め、多くの学生スポーツ大会が中止を強いられた。もちろん吹奏楽や合唱、書道、絵画や演劇の部活動に高校生活を捧げてきた子どもたちの舞台も同じだ。

 昨年は「特別な夏」――。そうだったかもしれない。それぞれの競技団体の尽力で独自の大会を開催してもらい、救われた高校生もいた。特別な体験もしただろう。だが、ほとんどは練習成果を発揮する舞台もなく、情熱が薄れていくのをぼんやりと待っていた。

 コロナ禍で迎える2年目の今年は、もう特別ではない。子どもたちの1年は大人の1年とは時間の流れ方が違う。一生を決める礎だ。2年連続で「自粛」を強いることがどれだけ成長を妨げるか。今回の緊急事態宣言が長引いたとしても、例えば甲子園のセンバツ大会は開催して欲しい。

 お前らスポーツメディアは球児で金儲けしたいだけだろう。そんな意見もある。だが、新聞を売りたくてスポーツ記者になった訳ではない。自分が経験した挫折、流した涙と同じ体験をする子どもを称えたいし、自分がかつて跳ね返された高い壁を悠々と乗り越えていく頼もしい才能の存在を広く伝えたくて記者を志したのだ。

 全国の医療従事者が大変な思いをしている。確かにそうだ。だが、学生生活をスポーツという生産性のない活動に費やす子どもたちは、また将来のこの国を支える戦力でもある。困難に直面する社会に出る前に、目指してきた大会や舞台で精一杯のプレーをすることが過ぎたぜいたくなのだろうか。

 高校生の全国大会は絶対に不要でも不急でもない。子どもたちには挫折が必要だ。頂点に立てるのは1人、1校しかない。そこが地方大会の初戦であっても、甲子園の決勝戦であっても、勝者以外は全員が敗者だ。そして、高い鼻をぽっきりと折られ、夢が潰(つい)える敗北感を味わうことが、どれだけ愛おしい時間なのかを教えてあげたい。

 そのために与えられた期間は3年間しかない。すでに1年は奪われた。大人が考えるほど、彼らの大切な時間は残っていない。(専門委員) 

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2021年1月7日のニュース