追悼連載~「コービー激動の41年」その71 変化が漂い始めた新たなシーズン

[ 2020年4月27日 08:10 ]

2009年ファイナルでのブライアント(AP)
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 2008年シーズンは北京五輪が終わった2カ月後の10月28日に始まった。レイカーズは再び頂点を目指して動き始める。そして開幕から19戦を消化時点で17勝2敗。これはチーム史上に残る最高の開幕ダッシュとなった。前季のファイナルでセルティクスに敗れたとは言え、シーズン途中でグリズリーズから移籍してきたパウ・ガソルの存在が大きかった。コービー・ブライアントも「細かいところにこだわるあたりは自分に似ていた」とシャキール・オニールとは対極に位置しているビッグマンとの“合体”に心地よさを感じていた。

 なにより大きく違っていたのはフィル・ジャクソン監督との関係だった。1年のブランクをはさんでレイカーズに復帰して4シーズン目。ファイナル3連覇を達成した第一期(1999~2003年シーズン)では衝突を繰り返していたが、ブライアントはすでに30歳となっていた。

 「最初にレイカーズに来たとき、彼(ジャクソン)は僕が聞く耳を持っていないと思っていた。でも戻ってきたときには“あるべき姿”になっていたことがわかったはずだ。自分は詮索好きで誰にでも質問をしてしまう。でもそれが何かを学ぶために情報を求めているのだということを理解してもらった。そしていったん理解してもらうと、彼は我慢強くなった。自分の質問にもちゃんと答えてくれた。優れた指導者はどこに“魚”がいるのかをきちんと教えてくれるが、まさに彼がそうだった。どこがうまくいって、どこがうまくいっていないかを指摘してくれた」。2018年刊の自著「マンバ・メンタリティー」にはそう記されている。

 背番号が入団時の8から24となってて3シーズン目。チームの大黒柱の変化は指揮官も感じ取っていた。

 「彼(ブライアント)は時々、自分のためのプレーをしていた。そこで私はゲームを壊さないようにしようと話し合った。コービーは私を我慢したし、私もコービーを我慢するようになった」

 ジャクソンは午前中のチーム練習では早めに練習場に到着していたが、駐車場では隣のスペースでブライアントが停めてあった自分の車の中で仮眠をしている姿を何度も目撃していた。チーム練習の前にすでにウエート・トレーニングなどで汗を流していることを知っていた。だからお互いを尊重できるようになると、人には見せない陰の努力がチームにとって欠かせない「DRIVING・FORCE(原動力)」になることを感じ取っていた。そんな“真の和解”が成立して迎えたのが2008年シーズンだった。
 
 レイカーズは2009年3月26日の時点で前季の勝ち星(57勝)に並び、翌27日には早々と西地区パシフィックでのディビジョン優勝が確定。レギュラーシーズンは65勝17敗で終え、プレーオフの1回戦はジャズを4勝1敗で制圧した。そして西地区準決勝では226センチの姚明と“得点マシン”のトレイシー・マグレイディーを擁していたロケッツと顔を合わせた。

 ロケッツはこのシーズン53勝29敗で西地区全体の5位。しかし1995年のプレーオフでは西地区6位からはい上がってファイナルでマジックを4勝0敗のスイープで倒した実績があり、シード順では計り知れない底力を持っていた。

 レイカーズはレギュラーシーズンではロケッツに対して4戦全勝。「プレーオフで負けるはずがない」。誰もがそう思っただろう。しかし自信が油断になる雰囲気はあった。5月4日の第1戦、レイカーズは地元ロサンゼルスでロケッツに92―100で苦杯。ブライアントは32得点をマークしたが、チームの3点シュート成功率は11・1%にまで低下し、その一方でロケッツの姚明には28得点と10リバウンドを許してしまった。

 6日の第2戦は大荒れの展開。第3クオーターに入ってレイカーズのラマー・オーダムのユニフォームをロケッツのルイス・スコラがつかんで突進を阻止し、これがきっかけとなって両軍の選手がコート上でもみ合いとなった。試合はレイカーズが40得点を挙げたブライアントの活躍もあって111―98で勝つのだが、実はこのラフファイトの中に翌年の優勝に絡むキーパーソンがいた。その人物はNBAの歴史を汚した超問題児。ジャクソンもブライアントもやがてチームメートとなる運命を知らないこともあって、“敵”のふるまいに怒り心頭だった。(敬称略・続く)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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