パラ女子陸上・重本沙絵 常に明るく前向き 反骨精神で壁乗り越え続ける

[ 2019年9月24日 09:30 ]

加藤綾子アナウンサー(右)が見守る中、軽快に走る重本沙絵(撮影・西尾 大助)
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 【カトパン突撃!東京五輪伝説の胎動】リオパラリンピック女子陸上400メートル(切断などT47)で銅メダルに輝いた重本沙絵(24=日体大、旧姓辻)は反骨精神で自身の壁を乗り越え続けている。先天性の右前腕欠損症もハンデとは捉えず、常に明るく前向きだ。加藤綾子アナウンサー(34)とのトークでも笑顔を絶やさず東京パラリンピックへの思いを語る。100メートル、200メートルもこなす新婚の美人スプリンターはメダルの色を塗り替えるため駆け回る。

 ――11月にドバイで世界パラ陸上選手権があります。調整は順調ですか?
 「メダルは獲りたいですね。4位以内で東京パラリンピックの内定が決まるので、そこに向けてやりたい。10月後半からバネをためていきながら調整します」

 ――バネをためるとは?
 「陸上選手はバネがないと体が重くて動けない。メニューを減らしてポイントごとに練習して疲れを残さないようにしていきます」

 ――5月の北京グランプリの400メートルで58秒96で日本記録を更新。来年を目指す上での目安は?
 「世界記録が55秒台。やはり57秒台は出さないと東京で金メダルは難しい。ひとつの壁ですね」

 ――400メートルの面白さは?
 「後半どれだけもがき苦しめるかが面白いところですね。終わったら歩くのも精いっぱい。乳酸がたまっておしりや体全身が痛くなる。過呼吸で倒れる人もいます」

 ――話を聞いただけで乳酸がたまりそう(笑い)。大学で陸上に転向したんですね?
 「小学生の時、転校した先で皆がやっていたのでハンドボールを始めました。小さい頃は木登りしたり野性児だった(笑い)。中学は全国大会に出るような学校でキャッチができないと練習も参加できない。壁に向かってボールをぶつけてキャッチする練習を1年くらいやりました」

 ――認められるまで大変だったでしょう。
 「顧問の先生は特別扱いをしないという方針。でも頑張った分だけ認めてくれる。壁に当てる音を強めにしてアピールしたりしてましたね(笑い)。顔の横のパスを捕れるようになったり、片手でキャッチできるようになった。2年で初めてレギュラーのユニホームを手渡された時は震えました。努力はムダじゃないと思えた」。

 ――ボールへの執着心も凄かった。
 「ハンデもあるし、いかにチームのプラスになれるか考えていた。試合前に対戦相手に“あの子ができるわけない。補欠だよ”とかコソコソ言われるとカチーン。絶対負けないと思ってボールをいっぱい回してもらいました(笑い)」

 ――大学時代に監督から勧められて陸上に転向。大きな決断だった?
 「最初は凄いショックでした。ハンドボールもレギュラーでやっていたのに急に障がい者スポーツをやってみないかと言われて。自分がその枠組みとは思ってなかった」

 ――なぜ本格的に取り組むようになったのですか?
 「15年の世界選手権で走り幅跳びの山本篤選手が金メダルを獲る瞬間を見て心が震えた。リオの前に私にしかできないことはなんだろうと考えて挑戦してみようと思った」

 ――そこから一本に絞ったんですね。リオでは猛烈な追い上げで銅メダルでした。
 「最後のコーナーを回る時、外側2人の足が動いていないのが見えた。鼻先にメダルをつり下げられたような感じで“メダル!メダル!”って追い込めました(笑い)」

 ――競技を始めてたった1年半とは思えない快挙でした。パラ競技を通して、どんなことを世間に伝えていきたいですか?
 「大好きなハンドボールを辞めてやってきたことをメダルを獲って証明したい。陸上はパリ大会まで続けたいですね。皆、顔のつくりが違うように、いろんなアイデアや考え方があったりする。その違いを認め合いながらハッピーになる世の中のきっかけづくりになれば良いかなと思います」

 ――お母さんは、どんな育て方だったのですか?
 「とにかく待ってくれてました。時間がかかっても自分でやる。良い意味で手をかけないでいてくれました」

 ――体のことはどう思ってましたか?
 「手は生えてくると思っていた。3歳年下の弟が手足がそろって生まれたのを見て人間って完璧な状態で生まれてくると分かってショックだった。でも腕が伸びないなら、何でもできる人になれば問題ないと思いました」

 ――そこからは現実に負けないようにしたんですね。愛情たっぷりに育ててくれた、ご両親も素敵ですね。
 「父はずっと見守ってくれてました。小学校ではリコーダーを覚えなきゃいけない。お姉ちゃんのを借りたけどできなかった。そんな時に父がお店に連れて行ってくれて“注文していたのはできてますか?”って。それで渡されたのが片手でできるリコーダー。いつもすっと手を差し伸べてくれる両親です」

 ――普段の生活はどうされてますか?
 「競技では別の義手で走りますが、筋電義手をつけ始めました。生まれた時から腕がなかったのでこんなに重いんだと思いました」

 ――慣れるといろんな動きができるようになる?
 「複雑な動きができます。新しいオモチャを手に入れた感じ。両手があると便利。洗濯物も凄い楽!みんな、こんなに楽してたのか~って(笑い)」

 ――昨年結婚されたそうですが、おめでとうございます。先を越されましたね…(笑い)。生活はどうですか?
 「支えてくれる人がそばにいてくれるのは安心します。海外遠征で家にいないことも多いけど“夢をかなえるために頑張っておいで”って。なんて素晴らしい人なんだろうと思います。旦那さんは同級生。思ったより楽しいなと…すみません」。

 ――優しいですね(笑い)。
 「本当にびっくりしました。これから何か悪いことが起こるんじゃないかと思ってしまいます(笑い)」

 ◆重本 沙絵(しげもと・さえ)1994年(平6)10月28日生まれ、北海道函館市出身の24歳。小学5年でハンドボールを始め、水海道二高では高校総体ベスト8に。日体大でもハンドボール部に所属していたが監督の勧めで2015年12月にパラ陸上競技に転向。16年のリオパラリンピックでは女子400メートルで銅メダル。17年の世界パラ陸上選手権でも女子400メートルで銅メダルに輝いた。100メートル、200メートル、400メートルの日本記録保持者。1メートル58。

 ≪一生懸命さが周囲に人を集め旦那さんとの出会いも必然≫
 【取材後記】とにかく前向き。障がいを否定せず、一生懸命にいることで自然と周りに人が集まってくる。愛情たっぷりに指導してくれた顧問の先生や優しい旦那さんとの出会いも必然なのでしょう。
 ハンドボールの壁当て練習もそうですが、一度決めたことは結果が出るまで向き合う。中高時代には3度、じん帯を断裂。「ただのハンドボールバカです」と笑ってましたが、楽しさを最優先してコートに立つ。負けん気の強さも魅力です。
 24年のパリ大会まで現役は続行するとのこと。彼女が装着する最新の筋電義手は日本に2つしかないようですが、活躍すればするほど話題も呼びます。パラ界の希望の星。明るく苦難を乗り越えて結果を出してくれそうです。(加藤 綾子)

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