【貴源治観戦記】八村からの「一緒にバスケやろう」誇りに

[ 2019年9月4日 10:00 ]

バスケットボールW杯1次リーグE組   日本76-89チェコ ( 2019年9月3日    中国・上海 )

<日本・チェコ>豪快にダンクする八村(AP)
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 バスケをやっていた人間として日本の勝利を一生懸命、応援していましたが残念でした。でも負けはしましたが、八村選手は初戦よりも動きが良く、頑張っていたと思います。

 八村選手と初めて会ったのは中2の冬でした。僕は茨城の境一中で、入学して兄貴(双子の兄、十両・貴ノ富士)と一緒にバスケットボール部に入りました。小学校のクラブチームで県2位になった実績もあったので、体も大きかったし即レギュラーになりました。僕らが加入して県上位の実力校になり、中2で全国の強豪校しか招待されない大会に出場して、その試合で八村選手と初めて対戦しました。

 僕はパワーフォワードで、同じポジションだったらライバルと思える選手が全国にいないと思えるぐらい、自信があったのですが、マッチアップした彼を抑えて勝利したものの、これは将来的にライバルになるなと感じました。長い腕によってパス感覚が狂わされて、指先のコントロールが良くてシュートタッチも柔らかい。同学年で中学生ながら日本代表になった選手もいましたが最も印象的だったのが八村選手です。

 試合後に「おまえらのチームに行きたいな」と話すと「本当に来てほしい。一緒に全中獲ろうぜ」と声を掛けられ、本気で富山・奥田中への転校を考えました。ただ冷静になると当時の学校で全国制覇したかったので諦めました。半年後の再会では「卒業したらどうするの?」と聞かれ「相撲に行く」と答えたら「もったいない。同じ高校でバスケやろう」と言われたのはうれしかったですね。

 卒業して貴乃花部屋に入門して高校を卒業する年齢になるまで、バスケをやめたことを後悔しましたが、続けていても彼の存在によって挫折していたと思います。それでも今は中学のとき、僕に声を掛けてくれた八村選手がNBAに行ったことが誇りです。今年8月、中学以来久しぶりに再会したとき「今度相撲見に行くよ」と言ってくれました。もしその時が来たら頑張っていたいし、これからはお互いが歩む道を究めていければと思います。(大相撲・貴源治賢)

 ◆貴源治 賢(たかげんじ・さとし)1997年(平成9)5月13日生まれ、栃木県小山市出身の22歳。13年春場所初土俵、17年夏場所新十両、19年名古屋場所新入幕。1メートル91、173キロ。

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