尾崎直道が語る昭和、平成、令和のゴルフ「今は下手な子がいない…個性のぶつかり合いじゃなくなった」

[ 2019年5月1日 22:24 ]

尾崎直道
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 男子ゴルフの令和第1戦、中日クラウンズ(賞金総額1億2000万円、優勝賞金2400万円)は5月2日から4日間、愛知県東郷町の名古屋ゴルフ倶楽部和合コース(6557ヤード、パー70)で行われる。ツアー通算32勝の“レジェンド”尾崎直道(62=国際スポーツ振興協会)は予選2日間をいずれも昨年ツアー初優勝を飾った秋吉翔太(28=ホームテック)、星野陸也(22=フリー)という若手有望株と同組でラウンドする。

 長兄・尾崎将司(72=I.S.T)の54勝、片山晋呉(46=イーグルポイントGC)の31勝に続く平成3位の22勝を挙げた尾崎直道は1992年に米ツアーの準メジャー、プレーヤーズ選手権で6位に食い込んで米ツアーの準シード権を獲得し、翌1993年から2001年まで本場米国を主戦場にした先駆者でもある。この間、日米両ツアーの第一線で活躍し、米ツアーでは1997年ビュイックオープンの2位が最高と優勝こそできなかったものの8年連続で賞金シードを獲得。日本でも1999年に日本オープンなどメジャー2勝を含む3勝を挙げて自身2度目の賞金王に輝く離れ業をやってのけた。50歳を迎えた2006年以降は米チャンピオンズ(シニア)ツアーにも参戦、長く米国でも「JOE(ジョー)」の愛称で親しまれた。その当時のマネジャー、ボブ・ターナー氏はその後、宮里藍、現在は松山英樹をサポートしている。その尾崎直道に昭和、平成、そして、令和のゴルフについて聞いた。

 ――令和という新しい時代が幕を開けました。
 「オレは自分を昭和の男だと思ってるからねえ。だから令和の時代なんか、染まれるかどうか分かんないけど、ハハハッ、ハハハッ……いやあ、でもなるべくそういう風にその時代、時代に生きていきたいと思いつつも、結局、平成の人間ともやっぱり交わっていけないかなとか思いながらやってきたから。ましてや令和になると、どうすればいいんだって感じになるよね」

 ――直道さんは平成で3番目の22勝を挙げています。
 「ああ、ホントに。十分だよね。まあ、平成の時代、アメリカに行ったり。僕の場合、どうしても日本で勝ったことよりもアメリカでって、そっちのことの方が印象深いんだよね」

 ――現在、松山英樹選手と小平智選手が米ツアーを主戦場にしていますが、直道さんのように日米両ツアーであれだけ長く好成績を残した選手はほかにはいません。
 「特殊だよね。結局、オレの昭和の精神というか、日本ツアーで育てられたもんだから日本ツアーは最低限の試合はこなしていこうというその信念の中で(アメリカに)行ったからね。だから日本のファンを裏切るわけにはいかないとまでは言わないにしてもやっぱり日本のファンの前でプレーしながら残った気力、体力でアメリカの(賞金)シードを続けたって感じだよね。いつダメになってもいいと思ってやったから」

 ――あの当時、腰痛を抱えながら8年間、米ツアーのシード権を守り続けました。
 「オレの中では初めて行った時とシードを取れなかった時も含めて10年だと思ってるんだけど、うん。その当時の自分に対する評価みたいなものは全く要らなくて、オレはもう自分で、ゴルフはある意味、いろんなコースで戦って、それが結局、自分のゴルフを上達させるわけだから。そして、いろんなコースで戦えてそれでシードを取ってそれで初めて自分のゴルフを認められるというかな。コースの違いというのは凄く感じてたから。ゴルフだけじゃないかな。コースが違うというのは。日本のコースはある意味(どのコースも)似てる訳で、それだけじゃあ、プロの技術の評価は難しい。アメリカに行った時にはジャック・ニクラウスのコース、ピート・ダイのコースとか、いろんなコースで結果出さないとなあと思ってたから」

 ――直道さんが米ツアーを転戦していた当時、われわれ日本の取材陣に「嫌だ、嫌だ」と話していました。
 「そりゃあ、もう、キツかったからね。おかげで今はもう背骨がいろんな形になっちゃってるからねえ。オレの中ではアメリカのシニアが一番キツかったかな。(パッティング)イップスの闘いもあって体もキツい中、もうひとつ頑張ろうとしたからね。最後はアップ、アップでバタンキューって感じで日本に帰ってきた。だからもう日本のシニアでファイトのファの字もないよ。昔負けなかった子たちが意気揚々とやってるのを見てさ、アプローチもパターも勝てる気がしないし、それで向こうは楽しそうにやってるし、元気比べじゃ勝てないもん。でも一生懸命はやってるんだよ。もちろん。ゴルフに対する思いみたいなのは変わんないんだけど、成績となるともうダメだな。残念だけど」

 ――そうまでして当時、アメリカにこだわったのは。
 「それは古い話になるね。自分からテストを受けに行った訳じゃないからね。TPC(プレーヤーズ選手権)で頑張ったら何とかカードをあげるって言われて。そっから始まったんだ。だったら行くしかねえなあって。せっかくもらったチャンスだし。だから唯一、自分から行ってないんだよ。やっぱりダメだよ。それじゃあ。それで行き始めたらもう35(歳)を過ぎてたからね。35っていったらマル(丸山茂樹)とか、ヒデミチ(田中秀道)とか、みんなその手前で終わってるもんなあ。それで尾崎直道は勝ってないって言われてもなあ」

 ――直道さんから見た平成生まれの選手たちは。
 「今の子は下手な子がいなくてツアーの中には外国人も大勢いるし、ちょっと油断するとポッと置いて行かれるよね。みんな飛ぶし、スイングもタイガー(ウッズ)が出てきてからこれがいいスイングだというのもハッキリしてきて、昔みたいに個性のぶつかり合いじゃなくなった。その中で生き残っていくっていうのは大変だと思うけどね。だから個性よりもスイング論とかそっちの方を大事にしてるのかな」

 ――今、タイガー・ウッズの名前が出ましたが、ウッズのマスターズでの復活優勝はどのように感じましたか。
 「(復活は)難しいだろうなあと思っていたから凄かったね。腰痛って治ったとしてもあの振りみたら復活しそうじゃない。腰痛が。だから相当大変だと思うよ。治ったからそのままできるとは思えないし。でもどうみてもタイガーが一番戦い方を知ってたよね。セーフティーに一番打ってたよね。ここはまだ勝負じゃないっていう風に。ロング(パー5)でも彼は2、3打負けてる時と勝ってる時のセカンドショットは明らかに違うもんね。攻める時とセーフティーに4を取りにいく時と。そのコースマネジメントは若い子は見ないとね。今、何をしなきゃいけないのかという。タイガーは堅いよ」

 ――直道さん自身は令和初戦のこの大会でどんな存在感を出していきたいと思っていますか。
 「オレ?まあ今は4日間やるっていうのは大変なんだけど、レギュラーツアーは去年もこの春の時期しか出てないしね。ジャンボみたいな考え方もあるだろうし、オレも……うん。ただ、たまにここに出てきて若い子と回ってると刺激はもらえるよね。若い子と回ってどうしようもなく打ちのめされるんだろうと思うけど、その中でゴルフをするっていうのもね。意外に新鮮。うん。それで4日間やれれば最高」

 ――令和の時代に達成したいことはありますか。
 「(2年前に)1回腰痛で(ゴルフを)止めたんだけど、ああいうのはもうしたくないな。ゴルフを楽しくするにはケガとの闘いもあるんだろうけど。無理をせずに。そして、その中でトーナメントを長くやりたいっていうのはあるよね」

 ――長兄のジャンボさんは石川遼選手、アマチュアの金谷拓実選手とのラウンドですが。
 「オレだって星野と秋吉だからね(笑い)。う~ん。まあ、どうだろうね。ジャンボは36ホールできるんだろうか。逆に心配だわなあ。オレよりは(体の状態が)悪いのは分かってるんだから。その中で自分に立ち向かっていく訳だから。完走してくれればいいなっていうのはあるね」

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