パラ競泳・小野智華子 “伝説”に再び挑む負けず嫌いの本能 会社の仲間から大声援を力に

[ 2019年4月13日 10:00 ]

小野は得意の100メートル背泳ぎで東京でのメダルを狙う(撮影・西川 祐介)
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 東京パラリンピックまであと500日。さまざまな障がいを乗り越えて晴れ舞台を目指す選手たちは、今この瞬間も懸命に心身の鍛練に励んでいる。全盲のスイマー、小野智華子(24=あいおいニッセイ同和損保)もその中の一人だ。過去2回のパラリンピックでは惜しくもメダルに手が届かなかったが、悔しさをバネにそこからさらにレベルアップ。東京では得意の100メートル背泳ぎで悲願の金メダルを狙っている。

 水泳は帯広盲学校1年の時から始め、帯広の森市民プールを拠点に、障がいのある子供たちのための水泳教室を開いていた元教諭の真田正樹氏の指導を受けた。08年には親元を離れて札幌市の北海道高等盲学校(現北海道札幌視覚支援学校)に入学し、卒業後は上京して筑波大付属特別支援学校へ進学。同校の寺西真人コーチの指導を受けるようになった。

 「だいぶ凝っていますね」「リフレッシュできましたか?」。東京都渋谷区のあいおいニッセイ同和損保本社内の一室で、小野の明るい声が響く。「はり・きゅう・あん摩マッサージ指圧師」の国家資格を生かしたヘルスキーパー(企業内理学療法士)として、社員のケアにあたるのが彼女の仕事だ。東京パラを目指すアスリートであっても、まず仕事をきちんとこなした上で大好きな水泳にも全力で取り組む。屈託のない笑顔は、充実した毎日の証でもある。

 今季初戦となる3月の春季記録会は不完全燃焼に終わった。持病のぜんそくに加えてインフルエンザや胃腸炎まで患い、今年最大の目標だった世界選手権代表を逃した。さすがにショックは大きかったが、持ち前の負けん気ですぐに立ち直った。「今回は体調が悪かったので仕方がない。どのみち今のタイムでは世界選手権で(東京パラ代表に内定する)1位にはなれないので、もっと力をつけないと」と気持ちを切り替え、連日泳ぎ込みや筋力トレーニングに励んでいる。

 生まれてすぐに未熟児網膜症で両目の視力を失った。水泳を始めたのは小学1年の時。母・薫さんの勧めで泳ぎ始めた。子供の頃からいかに負けず嫌いだったかを示す面白いエピソードがある。小学2年の夏、視覚障がい者のための水泳教室で、小野はレジェンドの河合純一氏に勝負を挑んだのだ。日本パラリンピアンズ協会会長の河合氏はパラ大会で金メダル5個を獲得。日本人として初めて国際パラリンピック委員会の殿堂入りも果たしている。そんな伝説のスイマーに小2の少女が一騎打ちを申し込んだのだから周囲は仰天した。「実は私自身は全然覚えていないんですよ。何であんなことを言ったのかな。でも、きっとその時は勝てると思ったんでしょうね。今思うと恥ずかしいです」。50メートルでの背泳ぎ対決はもちろん完敗だったが、その後も「見えないことを理由にしたくない」と猛練習を続け、07年には史上最年少の13歳で日本代表の強化指定選手に選ばれ、世界への道をこじ開けた。

 挫折もあった。08年の北京パラで、突然背泳ぎが実施種目から除外されてしまったのだ。「あの時は悔しいというよりもショック過ぎて、何もやる気がしなくなりました。どん底まで落ち込んで水泳からも離れました」。一時は自暴自棄になって、周囲に「引退」を宣言したこともあった。それでも10年のアジアパラで背泳ぎの復活が決まると「チャンスが今そこにあるのに、それを無駄にするのはもったいない。水泳で得た人間関係を失いたくない」と再びプールに戻った。

 初めて世界のトップと泳いだ12年のロンドンパラは100メートル背泳ぎで1分27秒55の8位。16年リオデジャネイロも1分25秒40で8位だった。4年間で2秒縮めたが、世界はさらにスピードアップしていた。小野の現在のベストは1分21秒07。東京で金メダル争いに割って入るためには1分17秒台前半のタイムが必要になる。「世界選手権に行けなかったのは悔しいけど、言い方を変えれば今年は自分のペースで練習できるようになったということですよね。しっかり泳ぎ込んでフォームを固めて、スピード練習で筋力、体力をもっとつける。そして来年3月の選考会で代表に入って、本番では17秒の前半で金メダルを獲りたい」

 残り500日を1秒たりとも無駄にしないように、今日も小野はプールで必死に手を回し、足を蹴り続けている。

 ≪背景≫小野は体重874グラムの超未熟児として生まれ、未熟児網膜症で両目の視力を失った。何カ月も保育器の中で過ごし、元気になってからは健常者と同じ幼稚園に通うようになった。当時から負けず嫌いの性格で、友達に負けじと自転車やローラースケートを乗りこなしていたという。

 ≪現状≫16年リオデジャネイロ大会のS11クラス決勝は、メアリー・フィッシャー(ニュージーランド)が1分17秒96の世界新で金メダルを獲得し、小野は1分25秒40で8位だった。1位とのタイム差は大きいが、2位以下はいずれも20秒台で、東京パラでもメダルのチャンスは十分にある。昨年8月のパンパシフィック選手権では1分22秒34で優勝しており、20秒を切れれば、可能性はさらに膨らむ。

 ≪競技≫パラリンピックの競泳は障がいの種類や程度によってクラス分けされている。視覚障がいはクラス11~13の3クラスで、小野は一番障がいが重いS11(全盲)で泳いでいる。視覚障がいの選手はターンやゴールタッチのときに壁にぶつかる危険があるため、コーチがタッピングデバイスという棒を使って選手に触れ、壁が近いことを知らせる。飛び込めない選手は水中からのスタートも認められている。

 ≪支援≫あいおいニッセイ同和損保は06年に車いすバスケットボール日本代表チームの公式スポンサーを務めるなど長年にわたって障がい者スポーツの支援に力を入れており、15年からはアスリート雇用も開始。現在はパラアスリート13人、健常者5人を雇用。4月1日には男子マラソンの川内優輝と所属契約を結んだ。

 小野は筑波大付属特別支援学校を卒業して就職する際、水泳に集中でき、同時に国家資格を生かしてヘルスキーパーとしても働ける環境を希望していた。ほとんどの企業が難色を示す中、同社だけが競技と仕事の両立に理解を示し、しかも小野のために新しくマッサージルームまで造ってくれた。

 さらに国内約700カ所ある同社の拠点網を生かして選手をサポートするとともに、年間約20大会で社員が観戦や応援を実施している。練習する際の施設使用料や遠征費も会社持ちで、小野は「本当にありがたいです。その分、期待に応えられるように頑張らないと」と恩返しを誓っている。

 ▼あいおいニッセイ同和損害保険金杉恭三代表取締役社長 当社は、アスリート雇用が進展しており、現在18人を雇用しています。とりわけ、パラアスリートは13人です。選手の皆さんは、競技と業務を両立しながら、しっかり頑張ってくれています。2020年東京パラリンピックに向け、当社は全力でサポートします。

 ≪略歴≫◇生まれ 1994年(平6)10月2日、北海道帯広市  ◇サイズ 1メートル60、52キロ  ◇愛称 小野が泳ぐ時は必ず会社の仲間がスタンドに大挙して押しかけ、愛称の「おのちか」を連呼する。「本当に力になります」
 ◇講演 あいおいニッセイ同和損保はパラスポーツを通じた共生社会の実現に取り組んでおり、講演会や体験会に選手を派遣している。小野も先月28日には日本貿易会からの依頼で講演を行った
 ◇音楽 EXILEのファン
 ◇好物 肉が大好き。魚と貝類は苦手

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