兄弟でレスリング日本代表 乙黒圭祐&拓斗 8畳の手作り道場で父と強さ磨いた6年

[ 2018年12月12日 10:00 ]

2020 THE STORY 飛躍の秘密

兄弟そろってレスリング日本代表の乙黒圭祐(左)と拓斗
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 8畳の手づくり道場は世界の舞台へとつながっていた。10月のレスリング世界選手権で乙黒圭祐(22)と乙黒拓斗(19=ともに山梨学院大)は兄弟で代表入りを果たし、弟の拓斗はフリースタイル65キロ級で初出場初優勝を飾った。日本男子最年少の世界王者に輝き、「平成の怪物」とまで評された強さ。その源流は自宅で父子で練習に明け暮れた小学生時代にあった。

 痕跡ならば残っている。壁にはシューズでこすりつけられた赤い塗料の筋、削れた敷居に壁に開いた穴。山梨県笛吹市にある乙黒兄弟の実家。小学生だった彼らはここで日々、猛練習を重ねていた。

 「2人がここで暮らしたのは6年ぐらい。生活というよりは、ほとんどトレーニングという感じだった」

 兄弟をレスリングに導いた父の正也さん(44)は10年前を懐かしんで言った。

 高校の部活でレスリングをしていた正也さんだったが、社会人になってからむしろ熱中し、息子にも教えたいと思うようになった。長男の圭祐が4歳の時に最初の誘いをかけたが嫌がられて断念。その後、サッカーにのめり込んだ圭祐に「レスリングをやると当たり負けしなくなるぞ」と巧みに丸め込んだ。

 圭祐は初めて出た大会でいきなり銀メダル。小さな子供にとって輝くメダルほどやる気をかき立てるものはない。兄がやる気になると、2歳下の拓斗もじゃれ合うようにレスリングを始めた。地元のクラブ、山梨ジュニアでは土日しか練習がなく「強くなりたいなら家でもやるか」。ここから父子3人の妥協なき練習の日々が幕を開けた。

 当時はまだ団地住まいで、安い布団を何枚も買い込んで床に敷き詰めドタンドタン。階下の人の留守を見計らって練習にいそしんだ。一軒家に引っ越すと気兼ねはなくなり、使い古しのマットを譲り受け、リビングの隣にある8畳の和室をレスリング場に変えた。2人の部屋には床にラダーを貼り付け、駐車場にはロープ登りと懸垂用の鉄棒を単管パイプで組み立てて、トレーニング設備も整えた。

 玄関にはレスリングシューズが置かれ、2人は学校から帰るとシューズに履き替えて家に上がった。風呂と寝るとき以外はシューズを履いて生活。正也さんの用意した打ち込みメニューなどを夜9、10時まで続ける。気の抜けた様子が見えたら一から全てやり直し。練習終了が日付をまたいだこともあった。

 「さぼると罪悪感で、次の日にその分をやる。それなら今やった方がいいと考える」

 「練習の虫」「努力の天才」と言われる今の拓斗の生真面目さは、子供の頃のこうした体験から来ているのかもしれない。

 「うちはレスリング以外に何もなかった。趣味だったものは全部やめてしまったし、レスリングの大会に行くことが家族旅行だった」(正也さん)

 練習量なら誰にも負けていない。だが2人が成長するにつれ、質の確保が課題となってきた。相手を求めて週末は東京に泊まりで出稽古するようにもなったが、平日はそうもいかない。そこで考えたのが近所にある山梨学院大への練習参加。圭祐は中1、拓斗はまだ小5である。しかし同大OBのつてを頼り、幸いにも高田裕司監督、小幡邦彦コーチに受け入れてもらえた。

 「トップの選手のクールダウンに少しいじくってもらって感覚を養えればよかった。練習環境がなくて、わらをもつかむ気持ちだった。あそこで断られていたらどうなっていたか」

 その後、圭祐は高田監督の勧めで中2から東京のJOCエリートアカデミーに入校した。拓斗には家でのパートナーがいなくなり、自然と大学での練習がメインとなった。ランドセルを背負った小学生が、黄色い交通安全の旗を持って学帽をかぶって大学へ出稽古。時間がないときには、タクシーでキャンパスに駆けつけることもあったという。大きなギャップをものともせず、高いレベルに触れ続けることでレスリングの幅を広げていった。

 中1になると拓斗も親元を離れてエリートアカデミーに進むことになった。母・千恵さん(44)は「親が子離れしたから東京に行かせたんじゃなく、行っちゃったから子離れするしかなかった」と当時を振り返った。正也さんも同じだった。「仕事から帰って1時間ぐらい家の中をそわそわしていて、かみさんに“何やってるの、座りなよ”って」

 そこまでの時間がそれだけ密度が濃かったということだろう。だが大会の写真以外には、自宅や練習風景の写真はまるで残っていない。「記録として撮ろうなんていう気はさらさらなかった。そういうつもりでやっていたわけじゃなかったから」

 息子たちへの指導も世界選手権や五輪を目指そうと始めたわけではなかった。猛稽古に対する2人の思いも「自分はやらされている感覚だった」(圭祐)、「日課というか使命感だった」(拓斗)というもの。ただただ家族でレスリングと真剣に向き合い続けた結果、2人そろっての世界選手権代表、そして東京五輪での金メダルを期待される現在の状況へとつながった。

 兄弟は山梨学院大に進学した今もレスリング談議を交わし、プライベートでも仲がいい。実家の玄関にはもうレスリングシューズはない。8畳の道場も元の和室に戻った。リビングにはスキーやサーフボード、釣り竿といった正也さんの趣味のアイテムがちらほら。休日は釣り竿担いで家族で出掛ける。今はそれが乙黒家の日常になっている。

 ≪恩師・高田監督 拓斗の強さ異次元≫拓斗は世界選手権で恩師の高田監督が持つ日本男子金メダルの最年少記録を塗り替えた。高田監督はその強さを「異次元」「平成の怪物」と表現。手足の長さと懐の深さに加え、「今までの日本人にないタイプ」と攻撃力だけでなくカウンターの鋭さにも目を見張る。「今まで日本は攻めることを教えてきた。これからはこういうレスリングでないと海外勢に勝てないんだと思った」と拓斗のレスリングに新時代の息吹を感じ取った。

 ≪小幡コーチ 拓斗さらなる成長期待≫乙黒兄弟が山梨学院大に入学したことで、小幡コーチは現在も2人の指導に関わっている。「小さい頃から練習についてきたし、軽量級で空いている大学生が相手をしていた」。正也さんによれば、練習後に居残って稽古をつけてくれていたのは小幡コーチだったという。世界王者となった拓斗について同コーチは「攻撃力は問題ない。まだ少し力負けしている。これからは研究もされる」とさらなる成長を求めた。

 【乙黒 圭祐(おとぐろ・けいすけ)&拓斗(たくと)】

 ☆生まれとサイズ 兄・圭祐は1996年(平8)11月16日生まれの22歳。1メートル76、左構え。弟・拓斗は1998年(平10)12月13日生まれの19歳。1メートル73、右構え。ともに山梨県笛吹市出身。

 ☆競技歴 父の影響で2人とも幼稚園年長の5歳から本格的に山梨ジュニアで始める。東京のゴールドキッズと山梨学院大にも通いつつ、圭祐は中2、拓斗は中1からJOCエリートアカデミーに入る。

 ☆戦績 圭祐は70キロ級で17年全日本選手権優勝。世界選手権は初戦敗退。拓斗は65キロ級で18年全日本選抜選手権優勝。世界選手権で五輪も含めて日本男子初の10代金メダル獲得。

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