GPファイナル汗かき日記1 マルセイユは世界に旅立つ約束の地なのだ

[ 2016年12月7日 09:10 ]

1997年12月、マルセイユ入りした中田英寿選手。写真の色、画質もデジタルカメラの黎明期を物語ります(撮影・長久保 豊)
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 【長久保豊の撮ってもいい?話】あの日も人を待っていた。底冷えのするマルセイユ・プロヴァンス空港。経由地のパリが大雪で、待ち人の到着は相当な遅れが出るとアナウンスされていた。

 1997年12月4日に、ここマルセイユでフランスW杯の組み合わせ抽選と「欧州選抜・世界選抜」の記念試合が行われることになっていた。世界選抜の一員としてプレーする待ち人は、その前々日、3時間遅れの飛行機でこの地に降り立ち、こちらを一瞥することもなく迎えの車に乗り込んだ。

 そう、ボクが待っていたのは当時、ベルマーレ平塚の中田英寿選手。各メディアは「中田、いよいよ世界デビュー」と大騒ぎだった。

 試合は日本時間5日の午前0時45分開始。新聞の締め切り5分前にシャッターのタイムラグがひどい黎明期のデジタルカメラでサッカーを撮るのは至難の業だった。ましてやロナウドとバティストゥータの2トップ、右サイドに中田。ボールが写っていない、なんとも奇妙な写真ばかりが出来上がった。

 あれから19年。

 同じ場所、同じ季節、同じように世界を見つめている人を待つ。フィギュアスケートのジュニアGPファイナルに出場する紀平梨花、坂本花織、本田真凛の3選手だ。

 3人にはそれぞれの武器がある。紀平にはトリプルアクセルに代表されるジャンプが、坂本には滑りにも精神面でも強さが、本田には官能的ともいえる手の動きの美しさ、表現力がある。同世代の才能の競合は運命のいたずらとしか思えない。

 19年前のあの試合、中田はスタッド・ベロドロームの主役になった。序盤こそボールは回ってこなかった。だがロナウドに通した、たった1本のパスがチームメートとスタンドの彼を見る目を変えた。世界を見つめていた20歳の若者は世界から見つめられる存在になった。それは後半、途中交代するロナウドが彼にキャプテンマークを託したこと、試合終了後に乱入したファンの少年が真っ先に彼のユニホームをねだったことでも証明される。その後の彼のことはサッカー門外漢のボクが語ることもあるまい。

 あれから何人もの日本の若人があらゆる競技で世界の扉をこじ開けた。彼らに共通するのは世界を見続けたこと。こちらが見つめなければ相手は見つめ返してくれない。

 中田英寿から19年目の待ち人を乗せた飛行機は、ほぼ定刻通りにマルセイユに降り立ち、3人は先輩・宮原知子選手とともにそろって笑顔を見せてくれた。

 大会会場であるパレ・オムニスポーツはスタッド・ベロドロームから目と鼻の先にある。ここには1つのジャンプ、1つのスピン、1つのステップで世界から見つめられる存在になる舞台がある。

 もうカメラには目を向けてくれなくていい。彼女たちが何を見ているかわかっているから、こちらも気にしない。さあ日本の女の子たち、世界を取りにいこうぜ!(編集委員)

 ◆長久保 豊(ながくぼ・ゆたか)1962年2月生まれ。若いころからサッカー写真は苦手。ガッツポーズや歓喜する場面しか撮れないので、業界では「喜び組」と呼ばれています。

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