兄弟子・九重親方急逝から一夜…八角理事長「治ると思っていた」

[ 2016年8月2日 05:30 ]

悲しみをこらえながら話をする八角理事長

 膵臓(すいぞう)がんのため31日に61歳で亡くなった元横綱・千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)について、弟弟子だった日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)が会見した。訃報が届いた前日はショックのためコメントできず、この日は思い出を語っている最中に目を潤ませ、声を詰まらせた。遺体が安置されている東京都墨田区の九重部屋には多くの弔問客が訪れた。

 八角理事長は現役時代、同部屋の兄弟子だった千代の富士とともに85年秋場所から2人で10場所連続優勝を飾るなど、角界の歴史に名を残した。ともに最高位となったが、8歳年上の兄弟子が横綱に昇進した81年名古屋場所後、自身は幕下。それだけに「兄弟子というより親方という感じが強かった」という。「幕下の頃から稽古をつけてもらった。何があってもぶつかれと。本当に力を抜いてくれなかった。それが一番の思い出」。猛稽古があったからこそ横綱にたどり着けた。過去を振り返るとこみ上げてくるものがあった。目を潤ませ、時折、声を詰まらせて唇をかんだ。

 訃報が届いた31日は心の整理がつかなかった。「現役の頃から絶対に負けないという目で見ていたので、治ると思っていた。(亡くなったのは)本当なのかなという感じ」だった。一日たって開いた会見では「弱音を吐かない。何事に対しても絶対に勝つという精神力はとてつもないと思っていた」と人柄について語った。最後に顔を合わせたのは今年1月、高砂一門の会合が行われた焼き肉店。「何年かたって、2人で酒を飲みながら思い出を語りたかった」と無念さをにじませた。

 89年名古屋場所は同部屋の横綱同士の優勝決定戦となり、北勝海が敗れた。千代の富士は場所前に生後3カ月の三女を亡くして出場も危ぶまれたが、見事に賜杯を抱いた。そのことに触れると「(遺族が)通夜、葬式を自宅でしたいと。同じ場所(自宅)で娘さんを亡くした。その(名古屋)場所を思い出した」と振り返った。

 3年前に元大鵬の納谷幸喜氏、昨年は現役理事長だった元北の湖の小畑敏満氏が亡くなった。九重親方の死で日本人の優勝回数上位3人が他界したことになった。八角理事長は「より責任を持ってしっかりしないといけない。相撲協会は真っすぐの道を進む」と恩人である先輩たちのためにも、よりよい協会にすることを誓った。

続きを表示

この記事のフォト

「羽生結弦」特集記事

「卓球」特集記事

2016年8月2日のニュース