太田「金獲って」引退 30歳4度目夢舞台で集大成

[ 2016年4月21日 05:30 ]

リオ五輪に向け記者会見し、ポーズをとるフェンシングの(左から)青木、西岡、太田、徳南、佐藤

 リオデジャネイロ五輪のフェンシング日本代表が20日、都内で会見し、男子フルーレ個人の太田雄貴(30=森永製菓)が集大成の金メダル獲得を誓った。昨年の世界選手権を制したエースは五輪では08年北京が個人で銀、12年ロンドンは団体で銀。まだ見ぬ黄金の輝きを手に入れて、現役生活に別れを告げる。

 94年5月5日のことを太田は今でも覚えている。元フェンシング選手の父・義昭さんから「スーパーファミコンを買ってやるから、フェンシングをやらないか」と誘われた。当時8歳。ゲーム目当てでスタートした競技人生は、リオで最終章を迎える。「これが最後の五輪だろうと思っている。金メダルを獲ってから、現役を離れたい思いが強い」と4度目の夢舞台へ気合を入れた。

 昨年の世界選手権で個人を制したが、五輪は08年北京の個人が銀、12年ロンドンは団体で銀。「僕に足りないものは五輪の金メダル。金のみを狙う」。リオは団体での世界一を目指していたが、出場権を逃した。「この会見の場に1人で立つことが失意の念しかない。五輪に行けなかった男子フルーレの仲間のためにも結果を残したい」。自分のことを最優先に考えていた過去3大会とは、責任感が違う。

 完全燃焼したロンドン後、剣を置いて競技から離れた。20年東京五輪の招致活動にも関わり、価値観は変わった。アスリートである以上、勝敗へのこだわりは確かにある。だが、それ以上に「フェンシングがうまくなりたい」という思いが強くなった。「理想とするスタイルの先に、勝ち負けが発生する」。リオでも自身が信じる道を進むだけだ。

 日本フェンシング界の歴史を塗り替えてきた30歳は集大成の舞台で、20年東京五輪を狙う次世代にもメッセージを送る。「背が低かったり不利な状況下で何をしなければいけないか、考える五輪になってほしい。僕のメンタリティーが伝われば、東京では主役が代わる。僕より優秀な選手を育ててこそ、僕がフェンシングをやってきた意味がある」。黄金の輝きで明るく照らそう。自身のキャリアも、フェンシングの未来も――。

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