諸藤初V!昨年死去の母に「やったよと報告したい」

[ 2011年9月5日 06:00 ]

<フジサンケイクラシック最終日>表彰式で母親の遺影を手に優勝インタビューに答える諸藤将次

男子ゴルフツアー・フジサンケイ・クラシック最終日

(9月4日 山梨県富士河口湖町・富士桜カントリー倶楽部=7437ヤード、パー71)
 ツアー6年目の諸藤将次(26=セガサミーホールディングス)が亡き母にささげる初勝利を挙げた。首位から出て5バーディー、3ボギーの69をマーク。通算6アンダー、136で逃げ切った。記録の残る85年以降では4例目となる36ホール成立で、優勝賞金は規定により50%の1100万円。今季初勝利と大会3連覇を目指した石川遼(19=パナソニック)は70で回り、通算1アンダーで5位に終わった。
【最終R成績】

 ウイニングパットを沈めても派手なガッツポーズとはいかなかった。諸藤は「みんなバンザイとかするけど、自分はまだ勝ちが決まってないんで。でも(練習ラウンド仲間の小田)孔明さんが迎えてくれてウルッときました」と振り返った。

 台風の影響で競技は36ホールに短縮。テレビ中継を考慮して成績下位の選手より成績上位の選手が先にスタートしたため、自身は正午前にプレーを終えたが、優勝決定は全選手が競技を終えた4時間後という異例の結末だった。

 首位からスタートし、一時は2位に6打差をつけた。しかし、8番でボギーを叩くと12番から連続ボギーでリードはわずか2差。「慌てて気持ちがドキドキした。でも、キャディーにここからと言われて粘ろうと思った」。328ヤードに短縮された14番パー4で第1打をグリーン右横のラフまで運ぶと、ここでバーディー。勝負を決めた。

 この1勝には特別な思いが込められていた。昨年2月に最愛の母・孝子さんを皮膚がんのために59歳の若さで失った。「(福岡の実家の仏壇に)ウイニングボールをあげて、やったよと報告したい」と言うと目から涙があふれ出た。

 孝子さんが亡くなった後、諸藤は無気力状態に陥り、ゴルフに身が入らない日々が4カ月も続いた。家族で「お母さんのために頑張ろう」と話し合い再びゴルフに向き合ったのが同年6月。トレーニングから重点的に始めると体重は3キロ増え、低迷していた300ヤード超の飛距離も復活した。2ラウンドの平均317・5ヤードは2位と約13ヤード差。圧倒的な飛距離が3、6、17番のパー5でのバーディーにつながった。

 ジュニア時代は池田勇太のライバル。東の池田、西の諸藤と言われた逸材。しかし、ここまで勝利どころか賞金シードすら無縁だった。プロ9勝と先を行く池田を追い、「やっとスタート地点に立った」と語った。「まずは2勝目。そして、もっと上を目指したい」。夢は海外挑戦。ツアー屈指の飛ばし屋がさらなる高みを見据えた。

 ◆諸藤 将次(もろふじ・まさつぐ) 1985年(昭60)8月1日、福岡県出身の26歳。2歳からゴルフを始め、福岡県・沖学園時代の02年に九州アマに優勝。03年の世界ジュニアでは5位に入った。日大進学後、06年にプロ転向。これまで賞金シードを獲得したことはなかった。1メートル80、65キロ。

 ≪遺影持って兄駆けつけた!≫東京在住の諸藤の兄・誠一さん(33)は母・孝子さんの遺影を手に、諸藤が最終18番をプレー中にコースに駆けつけた。「富士桜CCは縁があると思っていた。母は桜が好きでしたし、諸藤の名字にはフジも入っていたので。母がいたら喜んでいたと思う。日本一の弟です」と万感の面持ち。表彰式後には父・保史郎さん(63)、姉・真千子さん(32)とともに家族全員が持っているという孝子さんの遺髪の入ったネックレスを胸に、グリーン上で記念撮影を行った。

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