魁皇 笑顔の引退会見「悔いも後悔もない」

[ 2011年7月21日 06:00 ]

引退会見で花束を贈られ、笑顔の魁皇

 大関・魁皇が引退表明から一夜明けた20日、名古屋市内のホテルで引退会見を行った。歴代最多の通算1047勝を挙げた38歳は「悔いも後悔も一切ありません」と23年間の相撲人生を総括。この日、相撲協会に引退届を提出して受理され、理事会で年寄「浅香山」の襲名が承認された。今後は友綱部屋の部屋付き親方として後進を指導する。日本人大関が不在となる一方で、この日は大関獲りの琴奨菊が横綱・白鵬を撃破。同じ福岡県出身である魁皇の後継者として大関昇進に大きく近づいた。

 23年間の現役生活に一片の悔いもなかった。引退会見に臨んだ魁皇は、すっきりした表情で「本日をもちまして現役を引退することになりました。今後は年寄、浅香山として後進の指導に当たります」と話した。横綱昇進や地元・九州場所での優勝など果たせなかった目標もあった。だが、今場所で千代の富士の持つ歴代最多の1045勝を更新したこともあり「もう悔いも後悔も一切ありません」と完全燃焼を強調した。

 「(通算勝利数)記録に目標を置いてしまった。やっと達成してホッとしてしまい、負けても悔しさがなくなった」。ボロボロの体が限界を迎え、大記録達成で気力を保てなくなったことが引退を決断した理由だが、もう一つの大きな要因として日本人の後輩力士の台頭もある。「琴奨菊は大関目指して頑張ってる。そういう力士が出てきたからというのは多少あります。琴奨菊にしても稀勢の里にしても(今場所は)自分の形になって負けた」。昨年7月に野球賭博問題で琴光喜が解雇されて以来、ただ一人の日本人大関として奮闘してきたが、今場所で自らの後を託す“後継者”が生まれる兆しを実感した。

 最も印象深い一番は00年初場所千秋楽、7勝7敗で迎えた武双山(現藤島親方)戦を挙げた。当時、関脇同士でライバル関係にあったが、その相手に簡単に押し倒されて惨敗。「あの悔しさがあったから大関に上がれた」。そこから奮起した魁皇は翌々場所に大関昇進を決め“名大関”の道を歩むことになった。

 今後は友綱部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たるが、数年後には自分の部屋を持ちたい意向。「自分よりももっともっと強い、格好いい関取を育てたい」。この日、魁皇のいない土俵で対戦予定だった隠岐の海の不戦勝が告げられると、場内のファンからは何度も「かいおう!」との声が上がった。現役力士の中で誰よりも愛された38歳は、惜しまれながら第二の人生をスタートさせた。

 ▼友綱親方(元関脇・魁輝) 本当にここまでよく頑張ってくれた。入門当時のことを考えると今の姿は想像できない。長い間努めてくれて師匠として感激している。自分が担当部長の場所で記録をつくり、引退するというのは何かの運命なのかもしれない。

 ▼琴欧洲 びっくりした。(現役最後の一番を取ったが)引退するとは感じなかった。礼儀、考え方、真面目さなど多くのことを学んだ。

 ▼把瑠都 悲しいですね。長いことお疲れさまでした。(魁皇関から学んだことは)頑張るということです。

 ▼栃乃洋 以前、大関の小手投げで腕を負傷したことがあった。ただ差すだけではダメという、相撲の厳しさを教えてもらった。

 ▼高見盛 切ないものがある。いろんな意味で大きい人だった。相談にも乗ってもらったし、自分にとって大事な人の1人です。

 ▼若の里 カド番でなかったので引退するとは思わなかった。寂しい。右上手を取られたら半分以上諦めていた。右の強さは対戦した力士の中で一番だった。

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2011年7月21日のニュース