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【今西和男 我が道2】年が離れた末っ子 兄や姉はきょうだいというより先生のような存在

[ 2026年2月2日 07:00 ]

親戚の為末大(右)、孫と壇上に(16年日本スポーツ学会表彰式)
Photo By 提供写真

 私が生まれたのは、1941年(昭16)1月12日、広島県広島市平塚町(現中区東平塚町)だった。JR広島駅から約500メートル、広島有数の繁華街で流川(ながれかわ)や薬研堀(やげんぼり)のすぐ近く、広島市の中心地の一角だった。両親はともに広島県の出身で、父・利作(りさく)の実家は広島市中町(現中区中町)、中学校を卒業すると、海軍に入隊し、戦後は中国電力に勤めた。母・絹子の実家は広島市十日市町(現中区十日市町)で、和傘を作っていたが、後にこうもり傘を作っていた。きょうだいは16歳上の長男・邦男、13歳上の長女・久恵、10歳上の次女・正江。私は年が離れた末っ子で、兄や姉はきょうだいというより、先生のような存在で、あまり一緒に遊んだ記憶はない。和男という名前の由来は詳しくは知らないが、「和やかないい子に育ってほしい」ということだった。

 長姉の久恵は、為末裕敏さんと結婚。その長男・敏行の長男・大は陸上選手になり、400メートル障害で2001年世界陸上エドモントン大会と05年ヘルシンキ大会で銅メダルを獲得。00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3度の五輪にも出場した。広島商から70年秋のドラフト6位で東映(現日本ハム)に投手として入団し、のちに内野手に転向した日高晶彦と、歌手の江利チエミも父方の親戚にあたる。

 私は早生まれなので、40年生まれのプロ野球の王貞治さん、板東英二さん、写真家の篠山紀信さんらと同い年、フリーアナウンサーの徳光和夫さんも41年の早生まれで同学年だ。イビチャ・オシムさんも41年5月生まれで、日本風に言えば学年は1つ違うが、同い年。女優の岩下志麻さんも私と同い年の妻・美代と東京都立武蔵高校で同級生だったので、私とも同学年ということになる。世の中は、39年にドイツがポーランドに侵攻して欧州で第2次世界大戦が勃発。日本も中国や東南アジアへ進出して、戦争へ向かっていた頃だった。

 広島県には呉市に海軍基地があったが、「広島市内は大丈夫」と言われていた。しかし、41年12月8日に太平洋戦争が始まると、広島市内も米軍の標的となり、空襲警報が鳴り響くようになった。私が2歳の頃、広島駅の北側に1キロぐらい行ったところにある二葉の里に疎開した。閑静な住宅地で、一軒家を借りて住んでいた。

 私は近所の子供と相撲を取ったり、川遊びをしたり、鬼ごっこをしたりして活発だった。父が海軍で横綱になったほど相撲が強かったこともあって、私も相撲に熱中した。父は走るのも速く、水泳も得意。母も足が速く、女学校の運動会の徒競走ではいつも一番だった。私も両親のDNAを受け継いで、駆けっこが速く、泳ぎもうまかった。父はいつも「頑張って運動をやりなさい」と言っていた。もちろん「勉強もしっかりやりなさい」と言うのも忘れなかった。こんな日常も、あの日を境に一変した。

 ◇今西 和男(いまにし・かずお)1941年(昭16)1月12日生まれ、広島市出身の85歳。広島市立舟入高から東京教育大(現筑波大)を経て東洋工業(マツダ)入り。俊足とハードタックルが武器のDFとして活躍。日本リーグ42試合、日本代表11試合出場。引退後はマツダの監督、総監督を務め、日本初のGMと言われた。サンフレッチェ広島の設立に尽力、日本サッカー協会強化委員、FC岐阜社長などを歴任。

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