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【井原正巳 我が道4】高1からレギュラーで全国へ そして満を持して高校選手権予選へ

[ 2025年7月4日 07:00 ]

高校2年生の時。前列右から3人目が筆者
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 1983年(昭58)4月、滋賀県立守山高校に入学した。入学式前の3月下旬からサッカー部の練習に参加。静岡県清水市(現静岡市清水区)のフェスティバルにも参加して、FWやMFでスタメン出場させてもらった。静岡学園や清水商業、清水東などと対戦した記憶がある。全国高校選手権に出ていた強豪校と試合ができていい刺激になった。静岡学園には三浦泰年さん、向島建さん、清水東には長谷川健太さんや入学前の武田修宏ら有名な選手がいて、自分の現在位置も見えた。「高校で力を付けて、高校選手権に出て活躍したい」という思いはどんどん強くなっていった。

 守山高校には越境入学なので学校まで約1時間かかった。自転車で最寄りのJR草津線貴生川(きぶかわ)駅まで行き、草津駅でJR東海道線に乗り換え、守山駅から学校まで約15分歩く。校則で守山駅からは歩かなければならなかった。

 朝練がある時は、6時ごろ母が作ってくれた弁当を持って家を出た。そのうち、1つ手前の栗東駅に自転車を置き、学校の近くまで乗って行ったりした。学校に着くと、7時ごろからロードワーク。コースがいくつかあって、普通は4キロ程度、5キロの大回りコースもあった。その後は各自が考えて、やりたい基礎練習をやるが、私はたいていキックボードや壁に向かってシュート練習をした。監督の松田保先生は「これをやれ」とは言わなかったが、車で回ってロードワークをチェックすることもあった。

 サッカー部は1学年二十数人だったが、1年生からレギュラーで使ってもらえた。3年生には松下電器(現G大阪)などでDFとして活躍し、京都パープルサンガ(現京都サンガ)などで監督を務めた美濃部直彦さんがいた。放課後は約2時間の練習。練習がない月曜日にはミーティングで、これが練習より長かった。

 6月に高校総体の滋賀県予選があったが、勝ち上がって愛知県で開催された本大会出場を決めた。高校生になって最初の全国大会、出場できてうれしかったが、初戦の2回戦で富山商業(富山)に3―0で勝ったものの、3回戦で清水商業(静岡)に0―1で負けた。もっと上を目指していたので悔しい苦い思い出だ。秋の群馬県で開催された国体も滋賀県選抜に選ばれて出場したが、1回戦で東京都に1―1からPK戦で敗れた。1得点は私だった。東京都には帝京高校の前田治さんや平岡和徳さんがいた。1年生から全国の舞台に出場できたことで、経験も積むことができた。

 次はいよいよ高校選手権だ。この大会に出場するために守山高校を選んだのだから、気合も入っていた。だが、何と1回戦で水口(みなくち)高校と当たってしまった。全国大会に出るためには、勝たなければならない相手だ。だが、0―0でPK戦になり、敗退した。私は2番目に蹴って決めたが、まさかの結果。この年は膳所(ぜぜ)高校が選手権に出場した。

 ◇井原 正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日生まれ、滋賀県出身の57歳。守山高から筑波大を経て横浜Mの前身の日産入り。磐田と浦和でもプレー。アジアの壁と言われ、大学2年生の時に日本代表入り、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経験、98年W杯フランス大会に主将として出場。代表通算122試合。引退後は北京五輪代表コーチ、柏コーチ、福岡監督、柏監督を務めた。現在は解説者、6月にU―20Jリーグ選抜監督も務めた。7月から韓国2部・水原コーチ。

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