湘南、ルヴァン杯初V 苦節19年市民クラブが結果にコミット

[ 2018年10月28日 05:30 ]

YBCルヴァン杯決勝   湘南1―0横浜 ( 2018年10月27日    埼玉 )

優勝し喜ぶ湘南イレブン(撮影・西海健太郎)
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 湘南がクラブ創設50周年の節目の年にルヴァン杯初優勝を飾った。決勝の前半36分にMF杉岡大暉(20)が左足でミドルシュートを決め、01年以来、2度目の大会制覇を狙った横浜を1―0で下した。タイトルは94年度の天皇杯以来だが、フジタが撤退して市民クラブとなってからは初めてで、賞金1億5000万円を獲得。チョウ・キジェ監督(49)は試合終了後、男泣きした。

 キャプテンの高山を先頭に選手が笑顔を見せながら表彰台に上がっていく。カップを高々と掲げ、50年の歴史に輝かしい一ページが加わった。

 「前半から堂々としてプレーしてくれた。ピッチ内の温度を下げることなくやってくれた」と、表彰台の選手を見上げたチョウ・キジェ監督は振り返る。試合終了の瞬間はベンチ前で選手に抱きつかれて倒れ込み、そのまま約1分間突っ伏して男泣き。「ここにいられることが幸せ。絶対に泣かないと決めていたけど…」。就任7年目で手にした勲章の重みをかみしめた。

 「勝敗の責任は監督が取るが、プレーの責任は選手が取れ」。指揮官は独りよがりは許さず、迷ったら前に出る意識を植え付けてきた。この日も序盤から前線の選手が積極的にボールを奪いにいく“湘南スタイル”で主導権を握った。

 前半36分にはDF山根の縦パスが相手選手に当たってこぼれたところを右サイドに回っていた左ウイングバックの杉岡が左足でシュート。「横浜は斜めの飛び出しに弱いと指示されていたので。いいところにいった」。大会MVPにも選ばれた20歳は値千金の一撃に笑顔をはじけさせた。千葉・市船橋高から加入2年目で東京五輪を目指している。ホープの活躍は走力を生かしたチームの象徴でもあった。

 横浜Fと横浜Mが合併した翌99年、ベルマーレの親会社だったフジタが撤退し、市民クラブとして再スタートした。だが、J2に降格し、経営規模も小さくなり、主力選手は次々とチームを去った。若手が出てきてもすぐ他クラブに引き抜かれ、10年間で3度も昇格と降格を繰り返した。ようやく今年4月にフィットネスクラブなどを経営するRIZAPが経営権を取得、3年で10億円の強化費を得て新体制となり、結果を出した形だ。

 だが、余韻に浸っている時間はない。中2日で30日にJ1磐田戦、さらに中2日で清水戦が控える。まずはJ1残留確定が先決、美酒に酔うのはその後だ。

 ◆湘南ベルマーレ 1968年創立の藤和不動産サッカー部が前身。フジタ工業、フジタと改称し、Jリーグには94年から加盟。同年度の天皇杯も制した。フジタの撤退を受け、2000年からは新運営会社の下、湘南ベルマーレとして活動する。本拠地は神奈川県平塚市のShonanBMWスタジアム平塚。ベルマーレはラテン語の「美しい」と「海」を合わせた造語。

 ▼日本サッカー協会相談役川淵三郎氏 初優勝をどういう言葉で表していいか分からないくらいうれしい。93年にJリーグが開幕したとき、条件が整っていたにもかかわらず、神奈川県に4チームも集中するのは避けたいと加入が1年延びた。決して恵まれた都市とは言えないが、早い段階からソフトボールやビーチサッカー、電動車椅子サッカーなどにも着手し、Jリーグの理念の具現化に取り組んでくれた。地域のスポーツ振興に取り組んでくれた真壁会長の情熱に心から感謝する。いつの日か、湘南の地にサッカー専用スタジアムができ、強豪として揺るぎない実力を備えたチームになってほしい。これまで変わらぬ情熱でチームを育ててきた曹貴裁監督に殊勲賞、努力賞を差し上げたい。(初代Jリーグチェアマン)

 【データ】湘南がルヴァン杯史上初の“ダービー決勝”を制し、同杯初制覇。湘南のJリーグ3冠獲得(J1、J杯=16年途中からルヴァン杯、天皇杯)は、平塚時代の94年天皇杯以来24年ぶり2度目のこと。過去の3冠タイトルの最長ブランクは柏の12年(99年J杯→11年J1)でそれを12年も上回った。

 12年に指揮官に就任し、湘南一筋7年目の曹貴裁監督は初の3冠タイトル。同一クラブで指揮を執った監督としては浦和のペトロヴィッチ監督(12年就任→16年ルヴァン杯V)の5年目を抜いて最長となった。

 大会MVPは決勝弾のMF杉岡。20歳1カ月19日での受賞は09年米本(FC東京=18歳11カ月0日)07年安田(G大阪=19歳10カ月14日)に次ぐ、史上3番目の年少MVPとなった。

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