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温厚かつ信念の男…デルピエロからも慕われるザック監督

[ 2010年10月7日 14:22 ]

今年4月16日、インテル・ミラノ戦でデルピエロ(右)と話すユベントス時代のザッケローニ監督

 サッカー日本代表のザッケローニ監督が生まれたイタリア北西部エミリア・ロマーニャ州は自然に恵まれ、明るく温厚な人物が育つと言われる。原技術委員長も「何よりも人柄が良かった」と話すようにザッケローニ監督もまた笑顔を絶やさない前向きな性格の持ち主だが、指揮官としての信念は曲げない。

 指導者のキャリアをスタートさせたチェゼナーティコでこんな出来事があった。ティーノ・アルバーニ会長(当時)が知人からある選手を試合で使うよう頼まれて起用を約束した。それを伝えられたザッケローニ監督は「再び同じことが起これば辞任する」と言い切った。「非の打ち所のない振る舞いだった。素晴らしい紳士だ」とアルバーニ氏は当時を振り返る。

 ACミランで初めて指揮を執った98~99年には、シルビオ・ベルルスコーニ会長(当時、現イタリア首相)が戦術に関して口を挟んできたが、その要求をはねのけてリーグ優勝を勝ち取った。

 また、16歳の時に病気でプレーできなくなり、20歳を前に現役引退した苦労人であるため選手の気持ちを把握するのもうまい。「勝てば選手の功績。負ければ全責任は監督にある」が持論。負けても選手を責めることはない。そうした姿勢もあって選手の信頼は厚い。

 ACミラン、インテル・ミラノ、ユベントスとイタリアの“ビッグ3”の監督を歴任したが、ガゼッタ・デロ・スポルト紙のルカ・カラマイ記者は「就任したそれぞれのクラブで人望を集めることに成功しているし、選手たちは皆、な彼のことを良く言う」と証言する。

 昨季途中から指揮したユベントスでは7位に終わった。退任が決まると、FWアマウリやFWデルピエロが「僕たち選手が全力を出しきることができず申し訳ない。あなたはプロとしての態度を貫いてくれた。それに結果がついてきてしかるべきだったのに…」と声を掛けてきたという。世界のスターからも慕われる指揮官なら、本田、香川ら日本の才能をまとめ上げてくれるはずだ。

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2010年10月7日のニュース