伊藤雄二元調教師 老衰で死去、85歳 ウイニングチケット、エアグルーヴなど数々の名馬育てる

[ 2022年8月19日 17:23 ]

伊藤雄二・元調教師(07年2月撮影)
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 JRAは19日、歴代8位の1155勝を挙げた元調教師の伊藤雄二氏が、17日に老衰のため死去したと発表した。85歳だった。1966年に騎手から調教師に転向し、93年のダービー馬ウイニングチケット、G1・2勝の“女帝”エアグルーヴなど数々のスターホースを育てた名トレーナー。葬儀は親族のみで19日に行われた。

 記憶にも記録にも残る名トレーナーが天国に旅立った。馬場馬術界で活躍した父・木下芳雄の影響を受け、幼い頃から馬に親しみ、高校在学中に騎手見習いとなり、1959年に騎手デビュー。主に障害レースを中心に騎乗した。1966年、29歳のときに義父が急逝、騎手を引退して調教師に転身することになった。

 調教師人生42年で積み上げた勝ち星はJRA歴代8位の1155勝。JRA賞・最高勝率調教師のタイトルは7度獲得。07年の引退間際には「ずっとファンあっての競馬と思って、やってきた。ファンにお返しするには連対率を上げるのが一番。そしたら、うちの厩舎の馬を買ってもらえる」とファン目線を忘れなかった。

 常識にとらわれず、さまざまな新しい調整方法も確立した。当時の追い切り日は木曜が一般的だったが、追い切り後のケアや微調整を考慮して水曜追いの方がベターと判断。「馬は生き物だし一頭一頭性格もみんな違う。その馬に合った調教をしないといけない」。今や主流の水曜追いのパイオニア的存在になった。当たり前になっている東京、中山、小倉などへの直前輸送も試行錯誤の末に貴重なノウハウをマスターした。

 調教師として挙げたG1(グレード制導入前を含む)は13勝。93年ウイニングチケットで日本ダービーを制した。女帝と呼ばれたエアグルーヴは97年天皇賞・秋を勝ち、同年牝馬としては71年のトウメイ以来26年ぶりとなる年度代表馬に選出。同馬は繁殖牝馬としてアドマイヤグルーヴやルーラーシップのG1勝ち馬を輩出、近代競馬を支える血脈として受け継がれている。

 引退後の14年には「昭和58年、59年、62年と年間最多勝利を3回記録するなど優れた実績を残しており、中央競馬の発展に多大な貢献があった」ことを評価され、競馬の殿堂入りにあたる顕彰者に選出されている。

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