短距離改革期を“待っていた”ニホンピロウイナー

[ 2021年11月19日 05:30 ]

第2回マイルCSを勝ったニホンピロウイナー
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 【競馬人生劇場・平松さとし】私が競馬を見始めた頃は“長い距離をこなせる馬こそ強い馬”という競走体系。古馬になると3200メートルの春秋の天皇賞(当時は秋の天皇賞もこの距離だった)と2500メートルの有馬記念だけが大レース扱い。3歳の5大クラシック(皐月賞、ダービー、菊花賞、桜花賞、オークス)と合わせ8大競走と呼ばれていた。

 メスが入れられたのは1980年代だった。呼称を日本中央競馬会のNCKからJRAに変更したのもその頃だし、欧州のグループ制にならってグレード制を導入したのもやはりこの頃。グレード制の導入に合わせて、ようやく短距離にも日が当たる路線が確立されたのだった。

 そしてまるで“その時”を待っていたように現れたのがニホンピロウイナーだ。84年に新設されたマイルチャンピオンシップ(G1)を勝つと、翌85年春には安田記念(G1)も優勝。秋にはマイルCS連覇を成し遂げた。

 そんな時代の寵児(ちょうじ)に騎乗していたのが河内洋騎手(現調教師)だ。マイル以下の重賞を10勝し、83年から3年連続で最優秀スプリンター(現最優秀短距離馬)に選定された快速の名馬に関し、以前、次のように語っていた。

 「跳びが奇麗なので道悪はうまくなかったけど、いつ手前を替えたのか分からないほどスピードは抜群にありました」

 中でも安田記念は自信があったと言い、その理由を次のように続けた。

 「右回りだとササるので内ラチにつける必要があったけど、左回りは上手で、注文がつきませんでした」

 とはいえ右回りでもほぼ持ったまま楽勝するケースが多かったように記憶しており、そう聞くと、ニヤリとして口を開いた。

 「持ったままだったのではなくて、追えないくらいササッていたんです。ライバル陣営にそれがバレないように乗るのは結構、苦労しましたよ」

 今週末、マイルCSが行われる。第1、2回とニホンピロウイナーが勝利したこの競走も38回目。今年はどんなドラマが待っているだろう――。 (フリーライター)

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2021年11月19日のニュース