【日本ダービー】武豊 誰かのために勝利を!76年ぶり無観客も感謝「出走全馬にドラマがある」

[ 2020年5月25日 05:30 ]

静かに、熱く――76年ぶり無観客ダービー(1)

日本ダービーでの全力騎乗を誓った武豊(撮影・西川祐介)
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 誰かのために勝ちたい――。「第87回日本ダービー」(31日、東京)で6度目の制覇に挑む武豊(51)がスポニチ本紙のインタビューに答えた。1944年(昭19)以来、76年ぶりの無観客ダービー。競馬を開催できることを感謝するとともに、ディープインパクト産駒・サトノフラッグ(牡=国枝)での全力騎乗を誓った。

 ――2月29日に始まった無観客競馬は今も続く。

 「当初はファンのいない競馬場が妙な感じで寂しくもありました。新型コロナウイルスの感染拡大が深刻さを増すにつれ、開催できることへの感謝の気持ちがどんどん大きくなりました。自宅で過ごす皆さんに競馬を楽しんでもらいたいと思っています」

 ――実は無観客最初の週は日本にいなかった。

 「人生初のサウジアラビア遠征でした。僕が無観客競馬を経験するのは2週目から。日曜(3月8日)は弥生賞ディープインパクト記念(G2)でした。騎乗したサトノフラッグは出走馬中、ただ1頭のディープインパクト産駒。まさに父を思わせる勝ち方でした」

 ――過去5勝しているダービー。今年は無観客だ。

 「そういえば…アイネスフウジンが勝って“ナカノコール”が20万人をのみ込んだスタンドに渦巻いたダービー(※注)を僕は経験しています。デビュー4年目でハクタイセイに騎乗。勝った中野栄治騎手がコールを浴びるのを見て、改めていつかダービーを勝ちたいと…。先日、横山典弘騎手と“俺たちは20万人とゼロ人(のダービー)を経験するんだな”と話したばかりです」

 ――ディープインパクト産駒、無敗2冠を狙うコントレイルが待ち構える一戦にサトノフラッグとともに挑む。

 「弥生賞ではサトノフラッグは確かに父を思わせる競馬をしてくれました。ただ、コントレイルはG1の皐月賞で父をほうふつさせる勝ちっぷり。G1とG2では重みも印象度も違う。あの馬は凄いです」

 ――今年もドラマが待っていそうだ。

 「サトノフラッグを管理する国枝栄先生からこんなことを言われました。“豊、知ってると思うけど俺は牡馬クラシックを勝っていないんだからな。頼むぞ!”。国枝先生のためにも勝ちたい。さらには里見治(はじめ)オーナーにも頂点に立っていただきたい。“選ばれし18頭”といいますよね。出走全馬にドラマがあります。いろいろな人のために勝ちたい…。ダービーはそういう気持ちが強くなるレースなんです」

 ※注 90年ダービーは史上最高の19万6517人が東京競馬場に来場。1番人気はメジロライアン(横山典)。3番人気アイネスフウジンが逃げ切るとウイニングランの際に「ナカノコール」が巻き起こった。

 ≪第1回は1932年≫1780年創設の英ダービーを元祖とし、世界中で行われている3歳馬の頂点を決するレース。日本では1932年(昭7)に旧目黒競馬場で第1回が開催され、函館孫作騎乗のワカタカが優勝した。正式名称は「東京優駿」で50年から「日本ダービー」の副称がついた。馬産の奨励、繁殖馬の選定が主眼だった経緯から現在も牡馬、牝馬のみが出走可能。セン馬は出走できない。

 ▽1944年の情勢と競馬 前年、東条英機内閣が競馬場を軍事部門に転用するため「競馬開催の一時停止」を決定。日本競馬会は競走馬の能力把握、生産維持のため能力検定競走を行うこととした。6月18日、ダービーは関係者200人が見守る中、18頭立てで行われ、4角で先頭に立ったカイソウが5馬身差快勝した。当時は戦争中。7月にサイパン島の日本軍が全滅し、東条内閣総辞職。神風特攻隊、学童疎開が始まった。流行歌は「同期の桜」など。

 ◆武 豊(たけ・ゆたか)1969年(昭44)3月15日生まれ、京都府出身の51歳。父は故武邦彦元調教師。87年騎手デビュー。同年69勝を挙げ、当時の新人最多勝利を記録。以後、全国リーディング首位18回、歴代最多のJRA・G1通算77勝。18年9月29日には前人未到のJRA通算4000勝を達成。同通算2万2347戦4179勝(24日終了現在)。現在、日本騎手クラブ会長。妻は元アイドルの(旧姓佐野)量子夫人。1メートル70、51キロ。血液型O。

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