シンザン その切れナタの如し――戦後初の3冠馬は「紳士」だった

[ 2020年5月25日 06:00 ]

1964年5月31日、第31回日本ダービーを制したシンザン(左)。その後、菊花賞も勝ち戦後初のクラシック三冠馬に
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 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~日本ダービー編~】昭和、平成の名場面をスポニチ本紙秘蔵写真で振り返る「Lega―scene(レガシーン)」。第8弾は競馬。31日、競馬の祭典「日本ダービー」が行われます。競馬ファンばかりか、日本中を沸かせた歴代の名馬のダービー制覇をお届けします。第1回は1964年(昭39)5月31日、「第31回ダービー」を制したシンザン。秋には菊花賞も勝ち、戦後初の3冠を達成。今年は76年ぶりに無観客で開催されますが、この年はスターホースの走りを目撃しようと9万人の大観衆で埋め尽くされました。

 「ナタの切れ味」管理する武田文吾はシンザンをこう評した。「紳士的な馬さ。倒した相手を徹底的にやり込めない。明日の希望を持たせた」このダービーもそうだった。

 27頭立て1番人気。朝日杯3歳Sを制した関東の雄ウメノチカラが執ようにマークしてきた。4コーナーライバルはインに進路を取る。奇襲だ。そして先頭に立つ。シンザンは悠々と馬場のいい中ほどへ。大丈夫か。鞍上・栗田勝が満を持してムチを放つ。残り100メートル矢の如(ごと)くシンザン先頭。1馬身1/4差という着差以上の完勝だった。

 8戦7勝での頂点。だが危ない場面もあった。3歳の1月シンザンの後肢の爪が血を噴いた。革を巻きゴムテープも試したが駄目だった。だが武田はついに正解にたどりつく。「シンザン鉄」の誕生だった。

 夏負けを乗り越え秋には菊の大輪を咲かせた。セントライト以来史上2頭目。東京五輪に沸いたその年に戦後初の3冠馬が誕生した。

 翌年には天皇賞・秋も有馬記念も手にした。当時の八大競走のうち5競走を制覇。「シンザンを超えろ」そのキャッチフレーズは長く日本競馬の合言葉となった。
(敬称略)

 ≪名門武田文吾厩舎で開花「ひげもそれるナタ」≫シンザンは関西の名門、武田文吾厩舎からデビューした。入厩当初は大した期待をかけられず、担当予定だった腕利き厩務員は別の馬を世話したいと主張。そこで、当時30歳の中尾謙太郎厩務員(のち調教師)へと担当が代わった。連勝を重ねると評価は一変。皐月賞のレースぶりを見た武田師は、自身が管理した60年の2冠馬コダマと比較して「コダマはカミソリ、シンザンはナタの切れ味。ただしシンザンのナタはひげもそれる」と、その自在性を評した。65年有馬記念優勝後に引退。その後、種牡馬となり、ミホシンザンなど優秀な産駒を出した。96年7月13日没。35歳3カ月11日の大往生だった。

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