【菊花賞】アンライバルド忘れ物を取りに行く戦い

[ 2009年10月22日 06:00 ]

木村厩務員も気を遣うアンライバルドの世話

 【仕上げ人の菊模様】ダービー後、北海道へと放牧に出たアンライバルドを見送った木村久厩務員は、急に体から血の気が引いていくのを感じた。ずしっと体が重くなり、頭の中は真っ白。血圧が急激に上昇し、1週間の休養を余儀なくされた。

 「疲れが一気に噴き出した。皐月賞に続いてダービーも、と期待していたのに、あの田んぼのような馬場。ショックが大きかった」。極限まで気を張り詰めたダービーから5カ月。菊花賞は忘れ物を取りにいく戦いだ。
 キャリア40年を超える大ベテランだが、この馬に接する時は少しの油断も許されない。「走る馬を担当して楽に見えるかもしれないが、この馬の気性は普通の馬とは違う。何かの拍子に一気にテンションが高くなるから本当に気を使う。これだけの馬。ケガをさせたくないから、人間の疲れ方も尋常ではないんだ」。皐月賞の後、ちょっと目を離したスキに馬栓棒(馬房に付ける扉代わりの棒)へと突進し、鉄製の棒をグニャリと曲げたこともある。幸い馬にケガはなかったが、ベテランの背中に冷や汗が流れた。
 ただ、落ち着きさえ保ってくれれば、超A級の能力を発揮する。圧勝の皐月賞を「中山は合うし、走るとは思っていたが、あそこまでとは想像がつかなかった」と振り返る。人生初のG1制覇。不思議と涙は出なかった。「まだダービーがある。ダービーを勝たなければ、と思っていたから」。その夢は雨によって断たれたが、木村厩務員はダービーも勝てる器と信じていた。
 さあ、反撃だ。「仕上がりはいい。あとはレース展開。競馬はやってみないと分からない。この世界には運が重要だから」。倒れるまで気持ちを張り詰めたダービー。ベテランは、そのリベンジを菊で果たそうとしている。

 ◆木村 久(きむら・ひさし)1951年(昭26)3月11日、京都府生まれの59歳。15歳で競馬社会に入り、以来厩務員一筋。上田三千夫厩舎から夏村、福島角、渡辺を経て、友道厩舎。過去にマジックキス(北九州記念)、渡辺厩舎時代のスイープトウショウ(ファンタジーS)を担当。

続きを表示

2009年10月22日のニュース