ギタリスト押尾コータロー 20代後半で母に「音楽を趣味にしたら」と言われるも34歳でデビュー

[ 2022年3月16日 14:41 ]

押尾コータロー
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 ギタリストの押尾コータロー(54)が16日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。デビューまでの道のりを振り返った。

 押尾はギター1本で、津軽三味線やドラム、琴などさまざまな音色を奏でる「超絶技巧」で知られている。世界最大級の音楽イベント「モントルー・ジャズ・フェスティバル」に2002年から3年連続で出演、「ブルースの王様」と言われたギタリストのB.B.キングさんとも共演した。押尾がギターを始めたのは大阪に住んでいた中学2年から。「不純な動機から始まりました。フォークギターで弾き語りをするのが流行っていて」「『ギターは女の子にもてる』それだけの理由で始めましたね」と明かした。

 最初は家にあるギターで始めたものの、ギターコード「Eマイナー」で「手が痛くて」挫折、1日でやめてしまった。友人に「才能ないからやめようかな」と話したところ、友人が「お前みたいな中途半端なことやってると、この先何やっても中途半端やぞ」と激怒。その日から無理やり毎日5分練習させられるようになった。押尾は「5分で始めてたら指の方が硬くなってきて。毎日持つっていうのが良かったですね。嫌々やってたんですけどね」と手がなじんでくると少しずつ時間を増やしていった。

 そうして弾けるようになると、「楽しくてしょうがない。ご飯食べてるとき以外、寝てるときもとにかくずっとギターを持ってましたね」と押尾。指も「もうね、痛くないんですよね。へっこむのが気持ちいいっていうか。指のタコっていうのが」と語った。

 高校時代にはギター教室に通うように。「僕の大好きな中川イサトっていうインストゥルメンタルの、ギターのアイドルのような存在の人がたまたまギター教室を大阪でやってて、これは会いに行こうと思って」通い始めた。中川からは中古のギターを勧められ、「買います」と即答。代金は5万円程度と思っていたところ、25万円だったが、母に「一生のお願い」と値段を打ち明けると、「分かった。用意する」との回答が。両親は離婚していたが、「たぶん母が親戚からお金を借りてきてくれたんだと思う」とし、そのギターは30歳まで使い続けた。

 高校卒業後、音楽専門学校に行くために上京。卒業後は再び大阪に戻り、ロックバンドで活動した。「髪の毛が長くなって、ベースを弾いて。お金がめっちゃくちゃかかるんですよ。ロックバンドって」。20代後半になると、母からは「あんたもそろそろ音楽を趣味にしたらどう。就職したらいいんじゃないか」と言われたとした。押尾は「才能という言葉があるじゃないですか。才能があるとしたら、その親に言われているのを普通に右から左へ聞き流したのが才能かなと思うんですよね。僕は気にしないで、『分かってる、分かってる』ってやり続けたっていう。弾き続けてましたね」と笑ってみせた。

 結局デビューが決まったのは34歳のとき。両親が安心したかと聞かれると、「うちの父も母も安心してくれましたね。はい」とうれしそうに話した。今年はデビュー20周年を迎える押尾は母は現在の活躍について「いつも楽しみに、今日の番組なんかめっちゃくちゃ楽しみにしてますよ」と明かすと、「ありがとうね、お母さんね」と呼び掛けた。

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2022年3月16日のニュース