過去の紅白歌合戦出場取りやめ 代役が多いジャニーズ

[ 2020年12月24日 05:30 ]

第71回紅白歌合戦
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 71回の歴史があり、日本を代表する音楽番組である紅白歌合戦では、過去にも出場決定後に多種多様な降板劇があった。代役がジャニーズ事務所のタレントが多いことも、紅白と同事務所との長い歴史を感じさせる。

 ▼松島詩子さん 1952年の第2回大会で本番当日に交通事故に遭い、越路吹雪が急きょ代役で初出場。越路はその後、常連となり紅白の顔となった。

 ▼雪村いづみ 56年の第7回大会、本番当日に胃けいれんを起こし欠場。親友の江利チエミが雪村の分と合わせて2つのバラを胸に付け歌唱。

 ▼内山田洋とクール・ファイブ 71年の第22回大会で、メンバーの前川清が体調不良となり辞退。代役はフォーリーブスとなった。他のメンバーたちは、前川の妻だった藤圭子さんの出番でバックコーラスを務めた。

 ▼北島三郎&山本譲二&鳥羽一郎 86年の第37回大会、12月28日に北島と山本が暴力団の新年会に参加したと報道され、翌29日午前にリハーサルに参加するも、同日午後に出場取りやめ。すぐに2人の代役として鳥羽と角川博が発表されたが、鳥羽も「自分も出席していた」と辞退。シブがき隊が出ることになった。

 ▼田原俊彦 88年の第39回大会、出場者発表の1週間後に「紅白は卒業した」と辞退表明。前年落選の遺恨か。代役は事務所後輩の男闘呼組。

 ▼HOUND DOG 91年の第42回大会、局側から依頼されていた85年のヒット曲「ff(フォルティシモ)」を「歌いたくない」と主張して出場辞退。バブルガム・ブラザーズが代役で初出場し、歌唱した「WON’T BE LONG」がロングヒット。

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2020年12月24日のニュース