渡哲也さんが語ってくれた石原裕次郎さんとの思い出

[ 2020年8月21日 12:00 ]

1986年1月、ハワイでバカンスを楽しんだ渡哲也さん(左)と石原裕次郎さん(右)
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 【牧 元一の孤人焦点】俳優の渡哲也さんの訃報から1週間たった。生前にインタビューさせていただいた時のことを思い出し、悲しみを募らせている。

 あれは2009年の夏、石原裕次郎さんの二十三回忌法要を間近にした頃だった。裕次郎さんとの思い出に関する質問に、ゆっくりと丁寧に答えていただいた。

 「ドラマの『西部警察』や『大都会』は石原さんの場面だけ集中的に撮影してたんです。だから、石原さんだけ早く撮影が終わるんですが、石原さんは早く終わったら必ず撮影所から会社(石原プロモーション)に行ってました。そこでお酒を飲みながら、ご自分で作った映画の『黒部の太陽』や『栄光への5000キロ』を何回も何回も見るんです。そのまま夜になって、周りの人たちが、ひとり消え、ふたり消えしてくる。口では『哲、もう帰っていいぞ。明日撮影があるんだから帰っていい』と言いながら、目は『帰るなよ』と言ってました」

 その話から裕次郎さんとの親密な間柄がうかがえた。渡さんは俳優になる前から裕次郎さんの映画をよく見ていて、「嵐を呼ぶ男」は高校時代に3度も鑑賞。日活に入った時、裕次郎さんと初対面して「新人の渡です。よろしくお願いします」とあいさつすると「頑張ってください」と敬語で励まされたという。

 「映画の石原さんと実際の石原さんは同一と言っていいくらい、差がありませんでした。私が元空手部、石原さんが元バスケット部と同じ体育会系ということもあって、何かにつけて気にかけていただきました。若い頃、撮影後に『哲、どうするんだ?』と聞かれ『きょうは帰ってセリフを覚えます』と答えると『うちに寄って飯を食って行け』と、ごちそうになったりもしました。着ていたものを下着以外ほとんどいただいたり、お小遣いをいただいたりもしました」

 最も鮮烈だったのは「印象に残る裕次郎さんとの共演作は何ですか?」という質問に対する答えだった。渡さんはしばらく考えた後に「ないですね」とつぶやき、「印象に残るような作品を作っていただく前に石原さんは亡くなってしまいました」と説明した。

 石原プロモーションの重要な目標は映画製作だった。渡さんは裕次郎さんとともに映画を作り、その作品で共演することを熱望していた。しかし、それは、かなわずに終わってしまった。渡さんの無念さを強く感じた。

 インタビューが終わると、渡さんはこう話しかけてくれた。「これで大丈夫ですか?話は足りてますか?もし、何かあったら、電話してください。いつでもいいですから」。そこまでの気づかいを役者さんから受けるのは初めてだった。結局、電話を差し上げることはなかったが、人柄がにじむ言葉として深く胸に刻み込まれている。

 ◆牧 元一(まき・もとかず)1963年、東京生まれ。編集局デジタル編集部専門委員。芸能取材歴約30年。現在は主にテレビやラジオを担当。

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