天才2人、コント55号の笑い

[ 2016年11月28日 11:15 ]

「コント55号」萩本欽一(右)と坂上二郎氏=77年12月

 【牧元一の孤人焦点】笑えた。腹を抱えて、という表現が大げさじゃないほど笑った。流れているのは昔の映像なのに全く古くさくなかった。笑いに新しいも古いもない、おかしいものはいつ見てもおかしい。

 NHK・BSプレミアム「結成50周年!コント55号 笑いの祭典」が11月23日に放送された。昭和の笑いを一変させたと言われる萩本欽一と故坂上二郎さんのコンビの魅力を浮き彫りにする番組だった。

 番組は事前に収録されたもので、収録の時に欽ちゃんとゲストのフリーアナウンサー・久米宏の話を聞く機会があった。欽ちゃんと久米は1975年から84年までTBSのクイズ番組「ぴったし カン・カン」で共演していた。

 久米は「(コント55号に)テレビの出方を教えてもらった」と明かした。「ぴったし…」で司会をしている時、二郎さんは久米の突っ込みに対して何も言葉を発することなく動きだけで反応することがあったという。

 「しゃべらなくてもいいんだと思った。アナウンサーはしゃべり過ぎる。特にラジオ出身の人がテレビに出ると、ついついしゃべりすぎてしまう。映ったら、しゃべらないといけないという強迫観念がある。コント55号の2人はそういうところから救ってくれた。テレビは映っているだけで十分ということを体感できた」

 久米のNHK出演はこの特番が初めてだった。テレビ朝日「ニュースステーション」のキャスターを降板した後もNHKとは全く縁がなく、55号への恩義が初出演へと導いた。

 欽ちゃんは久米に「よく来てくれた」と感謝の気持ちを表しつつ、「“ぴったし カン・カン”の久米さんのテンポが好きだった。みんなが“萩本さん”と言う中で“欽ちゃん、ダメ!”と突っ込まれて快感があった。55号をあんなに味わったのは久米さんだけ」と話した。

 2人に55号の魅力についてあらためて尋ねてみると、欽ちゃんは「きょう、やってみて(俳優らとコントを再現してみて)坂上二郎さんは偉大だったと思った。僕はくたびれたけど、二郎さんはくたびれなかった」と答えた。久米は「二郎さんが時折、欽ちゃんに対して恐怖の表情を見せるのがたまらなく好きだった。“次はどうなるんだろう?”と本当におびえていた。不条理者に対する恐怖心があった」と話した。

 55号のコントの基本は欽ちゃんの無理難題に二郎さんが精いっぱい応え続ける構図だった。それは異常な欽ちゃんの世界に正常な二郎さんが巻き込まれていく構図でもあった。欽ちゃんは「台本があるのはコントじゃない。ネタは2度やると面白くないから1度しかやらない」と、55号のコントは設定以外アドリブだったことを明かし、二郎さんへの突っ込みに関しては「二郎さんの動きを見て決めていた。疲れてるな、もっと疲れないかなと考えていた」と話した。

 どんなコントにも台本があり、台本に基づいて練習を積み重ねれば積み重ねるほど面白くなると思っていたので、意外だった。台本と練習じゃないのなら、思考と反射神経ということか。それを他の誰かが再現することは可能なのか。欽ちゃんと二郎さんだからできたのではないか。「天才2人」という言葉が頭に浮かんだ。(専門委員)

 ◆牧 元一(まき・もとかず)編集局文化社会部。放送担当。プロレスと格闘技のファンで、アントニオ猪木信者。ビートルズで音楽に目覚め、オフコースでアコースティックギターにはまった。太宰治、村上春樹からの影響が強い。

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