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フジテレビは25歳が定年だった それってホント!?

 【川田一美津の何を今さら】先日、幅広く活躍するプロデューサーの残間里江子さんにお会いする機会があった。残間さんと言えば、かつて山口百恵さんの自叙伝「蒼い時」を世に出したことで知られているが、その際、聞いた本人の人生もかなりドラマチック。さまざまなエピソードの中でも特に印象に残ったのが、学校を卒業する時の仕事選びだ。

 通っていた短大から推薦をもらって就職試験を受けに行ったのが、フジテレビ。面接官からいきなりこう言われた。「うちは25歳が定年なんですが、それでもいいですか」。その時、残間さんの頭の中に浮かんだことは、「わずか4、5年勤めたらもう終わりだなんて。それでは困る」。その理由は、子供の時から決して裕福とは言えない家庭だったこと、地方から都内の短大に進学出来たのは学費を工面してくれた両親のおかげだったからだ。「卒業したら出来る限り長く働いて家計を助けたい」。そんな思いがあったのだ。

 それにしても、「25歳定年制」には、驚いた。実際、フジテレビは1969年まで女子社員の定年は、この年齢だった。今では絶対に考えられないが、「女性は結婚して会社を辞めるもの」が社会通念だった時代。当時はさほど違和感もなかったのだろう。その後、ほとんどの大企業は80年以降、60歳定年制を導入。86年には職場の男女差別を禁止する男女雇用機会均等法も施行された。ご存じの通り、2012年8月には改正高齢者雇用安定法が成立し、希望すれば65歳まで会社に勤務することが可能になった。もちろん、男性も女性も区別はない。

 年齢や性別に関係なく働く意志を持つ者にとって、労働環境はこの40年ほどで格段に改善されたと言っていい。しかし、正社員と非正規社員の格差、ブラック企業など新たな課題も生まれている。そのひとつが待機児童の問題だろう。共働きの夫婦が増えたことで、子供を預ける保育施設や保育士の数が不足。働きたくても働けない女性が増えている。女性の活躍の推進を掲げる安倍首相には、将来の日本を担う子供たちのためにも最優先で対策を講じてもらいたいもの。決して言葉だけで終わらないようにしてほしい。

 さて、残間さんの就職試験だ。「25歳の定年を過ぎても会社に残れるように頑張ります」。面接で堂々とそう答えてしまったためか、結果は落とされたそうだ。しかし、地元静岡のテレビ局でアナウンサーとして採用され、その後、雑誌編集者からマルチな才能を発揮するプロデューサーとして独立。現在は、新しい大人文化の創造を目指すネットワーク「クラブ・ウィルビー」の代表としてさまざまなイベントを仕掛けている。もちろん、60歳を過ぎた今でも定年はない。(専門委員)

 ◆川田 一美津(かわだ・かずみつ)立大卒、日大大学院修士課程修了。1986年入社。歌舞伎俳優中村勘三郎さんの「十八代勘三郎」(小学館刊)の企画構成を手がけた。「平成の水戸黄門」こと元衆院副議長、通産大臣の渡部恒三氏の「耳障りなことを言う勇気」(青志社刊)をプロデュース。現在は、本紙社会面の「美輪の色メガネ」(毎月第1週目土曜日)を担当。美輪明宏の取材はすでに10年以上続いている。

[ 2016年10月19日 09:00 ]

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