被災地から被災者を思う…「巨人の星」川崎のぼる氏が描く「くまモン」

[ 2016年6月14日 12:54 ]

川崎のぼる氏は描きあげた「くまモン頑張れ絵」を手に笑顔

 熊本地震発生からきょうで2カ月。記者は熊本県に2度、計13日足を運んだ。

 被災地の人々の心情に配慮し、文字にできなかった取材も多い。心に傷を負ったり、痛めている人に口を開いてもらえるとは限らない。

 だが何時間、時には何十日後にこちらの要望に応えてくれる人もいる。熊本県在住で、野球漫画の名作「巨人の星」の川崎のぼる氏もその一人だ。

 川崎氏には「くまモン頑張れ絵」を描いていただいた。被災地応援の思いを込めたくまモンの絵のことで、多くの漫画家が自身の作品の登場人物を一緒に描いて発表している。

 地震発生数日後の4月半ば、川崎氏に頑張れ絵を依頼した。被災地に住む漫画家ならではの、頑張れ絵を描いて頂けると考えた。だが、記者の考えは浅かった。返事は「NO」。「みんな必死に頑張っているのに、何を頑張れというんですか」。ご自身は幸い大きな被害を免れた。だが家をなくし、大切な人をなくし、うちひしがれた人たちを間近に見ていた。記者は「頑張れ」という言葉の重さに鈍感すぎた。

 それから約1カ月経った5月半ば、川崎氏から連絡があった。「苦しんでいる人を見て、何もしないのも辛い。私は漫画家。絵を描くことでしか、復興の力になれない。頑張れ絵を描きたい」。1カ月迷い、悩んで下した結論だった。

 記者はメディアが伝えるべきことがあると信じるから取材する。正直に言えば本当にあるのか悩むこともある。だが取材対象も悩んでいるのだと感じた。

 アトリエで見た絵は、素晴らしいものだった。メラメラとハートを燃やすくまモン、大リーグボール養成ギプスを付けた少年期の星飛雄馬、そして鋭い眼光でバットを構えた左門豊作。「巨人の星」さながらの熱い絵だった。川崎氏は「癒し系のくまモン絵が多いと感じたので、私は気合に満ちたくまモンを描いた」と説明した。

 一方で、くまモンの脇で、明子姉ちゃんがこっそり顔を出しているのもファンの心をくすぐる。いなかっぺ大将の大ちゃん、にゃんこ先生が描かれたことで、明るく楽しい絵になっている。「頑張れ!ばかりじゃ疲れちゃうよ」。1カ月悩まれた思い、被災地から被災者を思う優しさが絵にあふれていた。

 川崎漫画の世界を下敷きに広がる、イマジネーション。川崎氏は「そういうささいなことで、心がフッと軽くなることもあると思います」と話した。巨人の星は今年で発表50年。「お陰さまで、いい年をしたオジサン、じいさんからも“読んでたよ”と言って頂ける」。頑張れ絵が、かつての読者を含む多くの被災者を元気づけることを期待した。

 それにしても左門豊作は、熊本復興のシンボルになるキャラだと記者は思う。作中では「熊本農林高校」出身の設定で、幼い弟妹のために歯をくいしばり、耐える姿が印象的だった。

 実は巨人の星は、熊本に縁の深い作品。原作の故梶原一騎氏は、父方の祖父が熊本県高森町出身。同郷の英雄、川上哲治氏へのリスペクトから、左門を熊本出身としたと聞いている。

 梶原氏の原作では、左門の描写はわずか一文。「熊本生まれの、もっこすな男」だったという。もっこすとは、頑固の意味。熊本人気質を表す単語だ。川崎氏はこの短い一文から、左門のイメージを作り上げた。左門は、漫画史に残る巨匠2人が、熊本人の魂を具現化した姿なのだ。

 ちなみに頑張れ絵は当初、くまモンに大リーグボール養成ギプスを着ける案もあったという。だが「虐待に見えるかもしれない」(川崎氏)とボツになった。星一徹を描く案もあった。これは「絵が厳しくなりすぎる(笑)」。夫人から、左門が弟と妹の肩を抱き、復興への誓いを口にする案も出たという。川崎氏は「それは暗すぎる!」と却下したという。

 ファンとしては、どれも見たかった。

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