布袋が、Yoshikiが…ロック界の巨星の死に衝撃

[ 2016年1月12日 06:20 ]

1996年6月、日本武道館で行われたデビッド・ボウイさんの公演で実現した、布袋寅泰との2ショット

デビッド・ボウイさん死去

 突然の悲報に日本の音楽界にも衝撃が走った。

 結婚会見後に訃報を知ったDAIGOは、デビュー時の名前「DAIGO☆STARDUST」をボウイさんの代表作「ジギー・スターダスト」から取っただけにショックを受けている様子。

 96年6月の日本武道館での来日公演で共演したギタリストの布袋寅泰(53)は「デビッド・ボウイがいなければ今の僕はない。音楽だけではなく、ファッション、文学、フィロソフィー、映像などアートのすべてを彼から学んだ。彼から教わった“変化と挑戦の美学”の精神を引き継ぎたい。彼の旅立ちを受け入れるのはつらく悲しいけれど、彼の音楽は永遠に生き続ける。愛と感謝で宙に見送りたい」と強調。熱いラブコールを送り続けたことで1曲だけステージ共演できたことに「一生の思い出です。ありがとう、僕のロックスター。ありがとう、僕のスターマン★」と感謝した。

 また、X JAPANのYoshiki(年齢非公表)はツイッターで「I’m shocked…you were my hero」と英文でつづり、ボウイさんとのツーショット写真を公開。元夫の坂本龍一(63)を通じて親交のあった歌手・矢野顕子(60)は「一番心に残っているのは、幼かった娘をとても可愛がってくれ、六本木の街を肩車して歩くご機嫌な姿です」としのんだ。

 ▼音楽評論家・湯川れい子さん 派手なメークでビジュアルが際立つロックをつくるなど、変化し続け、世界中に刺激と影響を与えた。若いころ、けんかをして左目の瞳孔が開いたままになったとかで、左右の瞳の色が違って見えた。今月、新作アルバムが出たばかりだが、内容は陰々滅々。今にしてみれば“生前葬”のようにも思える。思いがけない早さでした。

 ▼デザイナー・山本寛斎氏 ニューヨーク公演を73年に見に行ったのが最初の出会い。刺激的な衣装を自分の世界に取り込んでいた。東洋の極致と西洋の極致のミスマッチ感が、バーンとしたエネルギーを放っていた。同性愛など男女のタブーも恐れなかった。でも普段の彼は妖艶な雰囲気はなく、普通の人だった。

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