法被姿の全キャン連 崩れ落ち、肩を抱き合って…

[ 2011年4月26日 06:00 ]

田中好子さんの出棺後にむせび泣くキャンディーズのファンたち

田中好子さん葬儀・告別式

 女優田中好子さんの葬儀・告別式に駆けつけたファン1400人の中には、かつて総数10万人に迫るとも言われた「全国キャンディーズ連盟」(全キャン連)の会員も多数おり、出棺時には肩を寄せ合い男泣きした。一部会員は08年から再結集し、現在は日本キャンディーズ協会と名を変え活動中。「こんな集まり方はしたくなかった」と、“悲しい同窓会”に声を詰まらせた。

 70年代後半、キャンディーズに胸をときめかせた青年たちは、今や社会を担う働き手。50~60歳の男性たちが、ふだんなら業務などに追われる週明けの昼、スーちゃんのために仕事も忘れた。

 法被に鉢巻き、紙テープ…。解散から33年、田中さんの急死によってファンの心が再び1つになった。長い列をつくって記帳し、焼香。持ち寄った思い思いの品を焼香台に供えた。

 ひときわ目立ったのは赤、青、黄色の原色の法被を着込んだ「全キャン連」。用意してきた紙テープ300本を配り「テープの端じゃなくて中心を握って投げて」と投げ方まで指導。「僕らの合図を待って」と現場を統制する姿は、往年のコンサートそのものだった。

 75年、旧蔵前国技館(東京都台東区)での「10000人カーニバル」を機に、乱立した私設応援団をまとめる形で発足。日本初の全国組織型ファン集団で、のちのアイドルたちを取り巻いた親衛隊の原型とされる。

 現副代表の青森恒憲さん(51)は「当時は振り付けを完全にコピーしてるヤツや、スーちゃんのスケジュールをなぜか全部知ってるヤツとか、猛者が多かったんだよ」と、グループにささげた青春を懐かしんだ。

 解散後、全キャン連も自然消滅。「熱もさめていった」(青森さん)というが、07年に当時の中心会員が死去。キャンディーズの曲に彩られた葬儀で、残されたメンバーの情熱が再燃した。解散日から丸30年の08年4月4日に都内で大型フィルムコンサートを実施するなど、年間平均3~4回イベントを開催。3週間前の今月3日にも会合を開いたばかりだった。

 「まさかこんな形で集まることになるとは。3週間前には“良くなってきたらしいよ”なんて言ってるヤツもいたのに」

 貴重なグッズを手に談議に花を咲かせ、よみがえった青春を謳歌(おうか)していた全キャン連のメンバーたち。田中さんの棺を納めた車が目の前を通りすぎると、一転地面に崩れ落ち、肩を抱き合っておえつした。

 車が見えなくなるとメンバーたちは法被を脱いだ。「最後にスーちゃんコール、やっとくか?」との声も出たが、「やめとこう」。いとしいスーちゃんとの永遠の別れを経て最後は「普通のおじさん」に戻っていった。

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