池内淳子さん逝く…5月まで舞台出演もがん再発

[ 2010年10月1日 06:00 ]

亡くなった池内淳子さん(中央)「三婆」博多座公演で、主演400回を達成。2010年4月5日撮影

 ホームドラマで芯の強い女性を演じ、品格のある母親役や祖母役などで幅広く親しまれた女優の池内淳子(いけうち・じゅんこ、本名中沢純子=なかざわ・すみこ)さんが26日午後4時21分、肺腺がんのため都内の病院で死去した。所属事務所が30日、公表した。76歳。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。お別れの会が誕生日の11月4日に開かれる予定。3年前にがんが見つかり治療していた。

 池内さんは07年4月、間質性肺炎を患っていることが判明。同時に胸水貯留と肺の右上葉部分にがんが見つかった。入院のため、同5月開幕の舞台「怪談牡丹燈籠(ぼたんどうろう)」を降板。同11月のテレビ朝日「点と線」で仕事復帰した。
 今年4月からは舞台「三婆(さんばば)」に出演。途中から食欲減退など体調が悪化したが、周囲には明かさず5月16日の千秋楽まで舞台に立った。閉幕後、激しい腹痛を訴え検査したところ、がんを再発していたことが分かった。3月ごろに再発したとみられる。
 8月末から都内の病院に入院。9月26日に体調が急変し、3人の妹らが「大きい(姉)ちゃん!」と大声で呼び掛けたが、意識は戻らず、眠るように息をひきとったという。所属事務所の関係者は「来年の復帰を目指し頑張ろうと話していた矢先だったので本当に残念」と悔やんだ。
 高校卒業後、大手百貨店の三越に勤務。売り場での美ぼうが映画会社「新東宝」の宣伝マンに注目され、54年に同社に入社。55年の映画「皇太子の花嫁」で女優デビュー、お嬢様女優として看板スターになった。57年には俳優の柳沢真一(77)と結婚し芸能界を一度引退したが、翌58年に離婚。復帰後の60年代からはテレビや舞台にも出演し、60年の昼ドラマ「日日の背信」では主婦層から支持され、メロドラマブームの火付け役に。TBS「女と味噌汁」シリーズでは毎回20%以上の視聴率を獲得し「20%女優」といわれた。
 プロ野球の巨人ファンとしても知られ、映画「ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗」(64年)では当時のスター選手と共演した。その後もドラマや舞台などで幅広く活躍。かっぽう着姿が似合うおかみさん役などで親しまれた。
 最後の出演作となった「三婆」は今年4月5日に主演400回、千秋楽では441回に達した。

 ◆池内 淳子(いけうち・じゅんこ)本名中沢純子(なかざわ・すみこ)1933年(昭8)11月4日、東京都出身。4姉妹の長女。映画は「社長」シリーズや「けものみち」(65年)、「男はつらいよ 寅次郎恋歌」(71年)ではマドンナ役。NHK連続テレビ小説「ひらり」「天うらら」などにも出演。02年に芸術選奨文部科学大臣賞と紫綬褒章を受け、08年に旭日小綬章受章。

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