落合博満氏 “守護神・岩瀬”が2004年開幕直前に骨折…2軍再調整「大反対した」ワケ

[ 2025年2月21日 20:05 ]

落合博満氏のYouTubeチャンネル「落合博満のオレ流チャンネル」から

 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(71)が21日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。中日の守護神としてプロ野球史上最多の通算407セーブをマークし、今年1月16日に日本の野球殿堂入りを果たした監督時代の教え子・岩瀬仁紀氏(50)について語った。

 岩瀬氏は西尾東から愛知大、NTT東海を経て1998年ドラフト2位(逆指名)で中日に入団。切れ味満点のスライダーを武器に1年目の1999年からリリーフ投手として活躍し、リーグトップの65試合に登板して10勝を挙げた。落合監督就任1年目となる2004年に抑えに転向。2005年には当時プロ野球記録のシーズン46セーブをマークし、最多セーブのタイトルを獲得した。先発登板はプロ2年目の1試合だけ。15年連続50試合登板、11年連続20セーブなどはプロ野球記録で、まさに「鉄腕」として一時代を築いた。18年限りで現役を引退。通算成績は1002試合で59勝51敗407セーブ、防御率2・31。2004年アテネ、2008年北京五輪に日本代表として出場した。

 2004年の開幕直前に岩瀬氏は自宅の浴室で転倒して左足中指を骨折。「どうする?って言ったら、いや、このまま1軍で投げますって言うから、だったら投げろと。開幕して骨折れてるわけでしょ?折れてて投げるってのは相当なことだよな。出れば打たれ、出れば打たれで今までなら岩瀬って言ったら拍手喝采で迎えられてたのが、ブーイング。その時岩瀬は“俺はなんでここまで一生懸命やってきたのにブーイングされなきゃいけないんだ”って思ったらしいよ」と語った。

 不振の岩瀬氏を2軍で再調整させようという話も浮上したという。しかし「それを最後まで反対したのはオレなんだよ」と回想。

 反対したのは「調子悪くなってファームに落としちゃうと気分的に楽になる。抑えをやるっていうヤツはもう切羽つまってお前が最後の砦なんだぞ、お前が打たれたら負けるんだよって。それだけ責任を持ってそのポジションやらなきゃいけないんだから。苦しい事もあるだろうけど、そこから絶対精神的に楽はさせないからっていうことでそのままずっと1軍に置いておいたの」と明かした。

 「要するに逃げ場をなくしたというのが抑え。悪かったらファーム行って気分的に楽になるっていうそういうポジションじゃないよということを、無言のうちに。ファームに落とすことは大反対したんだ。この悪い状態から立ち直ってみろって。というところからの出発なんだ」。

 そこからプロ野球記録を打ち立てる投手に成長。「あそこでファームに落として、のんびりさせちゃったらあの記録が生まれたかどうかっていうのはちょっと疑問なんだ。必ず言うのは“3敗までしていい”。1つも負けるなっていうのはきついんだ。でも、“3敗までしていいから”って言うと気持ち的に楽だって言うんだ。1年目は20何セーブかな。落合英二と2人で、抑えやりながらっていうのが1年目。2年目からは完璧に1人。1年目の時にブーイングから復活したっていうのが、彼のすごいところなんだろうと思う。逃げなかったからね」と称えた。

 「オレも逃がさなかったからな」と苦笑いしながらも、「逃がさなかったよ。そこまで信頼を回復したもん。野球やる中で8回までどうやってゲームプランを立てればいいかっていう。9回は岩瀬がいるから、岩瀬で負けたらしょうがないんだって。割り切りができた」と存在の大きさにうなずいた。

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