牛島和彦氏 日本一を目前にした朝に起きた異変「決勝戦のMAXは128キロだもん」

[ 2023年6月7日 16:16 ]

牛島和彦氏
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 スポニチなどの野球評論家を務める牛島和彦氏(62)が7日までに更新されたYouTubeチャンネル「アスリートアカデミア」にゲスト出演。浪商(現大体大浪商、大阪)時代に1978年春、1979年春夏と3度甲子園に出場した時のエピソードを語った。

 チャンネルのホストを務める元巨人で、野球評論家の岡崎郁氏とは同学年。同氏も79年春夏と聖地の土を踏んでおり、トークは自然と当時の話に移った。

 牛島氏が2年時に出場した78年選抜は初戦敗退。捲土重来を期した翌79年選抜は、強豪を次々と撃破して、箕島(和歌山)との決勝戦にコマを進めた。「箕島は4試合目が決勝戦だったの。うちは5試合目で、1試合少ないのよ、あっちの方が…」。組み合わせの運不運に加え、背番号1の疲労も限界に達していた。

 「準々決勝で川之江(愛媛)とやった時に、雨降りで、延長戦になって220球投げたのよ、一人で。次の試合(準決勝)が東洋大姫路(兵庫)で(約)150球投げて…。2回戦から決勝まで(4)連投で、(決勝戦の)朝起きたら、立ち上がるの、やっとみたいな」

 球数制限や、休養日などとは無縁だった時代のエース。岡崎氏も「そりゃ、そうだよねえ」と同情した。

 疲労困憊の中、気力だけで立った決勝戦のマウンド。本来の自分と違うことは、牛島氏が誰よりも分かっていた。「決勝戦のMAXは128キロだもん、ストレートが。全然…」。結果は13安打8得点を許し、7-8の惜敗。雪辱を期した同年選手権は、準決勝で池田(徳島)に敗れ、悲願の日本一にあと一歩が届かなった。

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