阪神ドラ1・森下 Jクラブのジュニアチーム入団を懇願するサッカー少年に訪れたターニングポイント

[ 2022年11月25日 05:15 ]

阪神新人連載「七人のトラ侍」 1位・森下(1)

中大で活躍し、ドラフト1位指名で阪神に入団する森下

 阪神が今秋ドラフト会議で指名した7選手のこれまでの足跡を「七人のトラ侍」と題して振り返る。1位指名の中大・森下翔太外野手(22)は神奈川県横浜市で生まれ育ち、大学屈指のスラッガーに至るまでには数多くの出会いと挫折があった。本人、親族、恩師らの証言からたどる素顔や分岐点とは。

 猛虎に導かれる運命だったのか…。2000年8月14日。森下家にとって待望の第1子は予定日より10日早く産声を上げた。3042グラムの男の子。プロ野球の黎明(れいめい)期から活躍し、最初に「ミスタータイガース」と評された藤村富美男と同じ誕生日だった。

 「その名の通り、大きく羽ばたく子になってほしい」

 両親の願いが込められた名前は父・善文さん(54)がこだわった「翔」と、母・ゆりさん(51)が男の子が生まれる前から希望していた「太」を組み合わせた。姓名判断の本を購入して入念に字画を調べ、「運勢も良かった」と両親の思いが詰まった「翔太」にすぐに決定した。

 善文さんは元球児だった。学生時代は神奈川県内の高校で硬式野球部に所属。息子にも野球の楽しさを伝えたい。その思いは翔太が成長するにつれ、どんどん大きくなっていった。

 「野球をやるように仕向けました。小さい時から野球遊びはよくやりました」

 父の“英才教育”を受け、一人で歩けるようになった時から、すでに野球に触れていた。柔らかいクッション性のバットを握り、リビングの隣にある5畳ほどの部屋で素振りをすることが日常になっていった。

 このまま野球少年になるという周りの想像とは裏腹に最初に没頭したのはサッカーだった。両親が共働きということもあり、1歳8カ月で保育園に入園。出会った友達と、がむしゃらにボールを蹴り合った。いつの間にか手元にあった小さな白球はサッカーボールに変わった。善文さんはサッカー少年になりかけていた息子の姿に焦りを感じていたが、「楽しそうに遊ぶ姿を見てサッカーをやめろとは言えなかった」と意思を尊重した。

 4歳の時には先に入部していた友達の影響でJ1の横浜F・マリノスのジュニアチームの体験会に参加。「凄く楽しかった。入りたい」。目を輝かせて母に本格的なクラブ入団を懇願した。

 しかし…。運命のいたずらか、申し込んだ時点で、募集人数が上限に達し、キャンセル待ちの状態。希望していたクラブへの入団はかなわなかった。

 両親は落ち込むことを心配していたが、翔太は「うん、分かった」とあっさりと納得した。「ある意味、キャンセル待ちじゃなければ、人生が変わっていたかもしれません」。ゆりさんの言葉通り、この出来事が最初のターニングポイントになった。(石崎 祥平)

 ◇森下 翔太(もりした・しょうた)2000年(平12)8月14日生まれ、神奈川県横浜市出身の22歳。小1で野球を始め日限山中では「戸塚シニア」でプレー。東海大相模では1年夏から中堅手としてベンチ入りし、3年春に選抜出場。中大では1年春、4年春にベストナイン。1メートル82、90キロ。右投げ右打ち。

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